銀メダルを獲得した女子バスケの町田瑠唯。2、3番手から大活躍、それまで心が折れなかったのはなぜか。 (4ページ目)

  • 水野光博●取材・構成 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by JMPA

 ホーバスHCは、早くから「目標は金メダル」と宣言していた。しかし2020年、立て続けに日本代表を悲劇が襲う。

 11月に正PGの本橋菜子が前十字靭帯損傷の大ケガを負い、復帰まで10カ月から1年と診断される。さらに、12月には日本屈指の高さを誇る193cmの渡嘉敷来夢も前十字靭帯断裂の大ケガを負ってしまう。

 本橋は奇跡的に五輪に間に合ったものの、ベストな状態とは言い難い日本代表が五輪で好成績を残すのは難しいと誰もが思ったはず。それは、最終選考に残った町田も同じだった。

「ケガ人が出ても、トムさんは変わらず『目標は金メダル』って言い続けたんです。正直、よくてメダルくらいでしょって思っていました(笑)」

 また、本橋の離脱後も町田は紅白戦で、控えチームでプレーすることが多かった。五輪直前の強化試合を重ね、ようやくスタートに選ばれる回数が少しずつ増えていった。

「スタートに選ばれても、トムさんは調子がいい悪いで変えたりするので、『スタートを勝ちとったぞ!』みたいな気持ちは最後まであまりなくて。いつベンチスタートになってもおかしくない。スタートでもベンチスタートでも、『出場したら自分がやるべきことをやります!』というスタンスでしたね」

 町田は日本代表として、公式戦で初めてのスターターを務めたのが東京五輪だった。耐え忍び、挫けず、ついに巡ってきたチャンスに町田は気負うことなく躍動する。得点するというHCの要求に応えながら、パスという自身の持ち味を消すことなく。

 結果、日本代表は銀メダルを獲得。

「オリンピック前、『金メダルまではちょっと......』という気持ちも少しあったんです。ただ今思えば、トムさんが金メダルと言い続けてくれたからこそ、『もうやるしかない!』と選手一人ひとりが思い、どこからでも、誰でも点がとれるというチームの持ち味を発揮でき、つかみ取ることができた銀メダルだと思います」

 金メダルという目標にこそ届かなかったものの、世界を驚愕させるのに十分なパフォーマンスを、町田も日本代表も披露した。何より五輪前に町田が掲げたふたつの目標のうち、ひとつは達成したと言っていいはずだ。

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