銀メダルを獲得した女子バスケの町田瑠唯。2、3番手から大活躍、それまで心が折れなかったのはなぜか。

  • 水野光博●取材・構成 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by JMPA

バスケットボール女子日本代表
町田瑠唯(富士通レッドウェーブ)インタビュー(前編)

この記事に関連する写真を見る 小学校入学時、彼女の身長は100cmに届かなかった。クラスで整列すれば、最前列。前ならえの時はいつも腰に手を当てた。

 2021年夏、彼女はバスケットボール女子日本代表で「13番」のユニフォームをまとい、大柄な外国人選手の間を颯爽とドリブルで駆け抜け、アシストパスをチームメイトに届け続けた。彼女はチームをけん引し、日本に初の銀メダルをもたらした。さらに、自身もアシスト王となり、大会ベスト5にも選出される――。

 町田瑠唯が最初に惹かれたのは兄が習っていた野球だった。小学1年生の時、野球のスパイクがほしかった彼女に父親は言う。

「マラソン大会で1位になったらスパイクを買ってあげる」

 猛練習した町田は見事1位になり、スパイクを手にする。一層、野球にのめり込むかと思われたが、運命の歯車が動き出した。

 のちに長きにわたりチームメイトとなる高田汐織()が、ミニバスの部員を探していた。高田は母親に相談すると「マラソン大会で1位になった子を誘ってみたら」と言われ、町田に声をかけることに。
※高田汐織=町田とは小中高でチームメイト。札幌山の手高校3年時には高校三冠を達成。2017年から2シーズン、富士通レッドウェーブでもチームメイトに。現在は日立ハイテククーガーズのアシスタントコーチ。

 練習を見学に行き、体育館の隅でドリブル練習をすると、町田はすぐにバスケに魅せられる。入部を決めると、体育館の練習だけでは飽き足らず、自宅でもドリブルやパスの練習をするようになった。今なお、町田の実家の床と壁はドリブルとパス練習のせいで凹んでいるという。

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