【国内バスケ】田臥勇太が語る「能代工時代の憂鬱な夏」 (5ページ目)

  • 水野光博●構成・文 text by Mizuno Mitsuhiro

「最初は大学生、その後に実業団でプレーしているOBが来てくれるんです。しかも、OBたちはチームメイトを誘って来てくれる」

 インターハイ直前の最終調整として、まさに大学選抜、そして日本代表といっても過言ではない面々とのOB戦が行なわれた。しかも、夏の夜の一大イベントとして、この試合は大勢の市民で客席が埋まる。

 田臥は1年生のとき、OB戦でマッチアップした選手を強烈に覚えている。長谷川誠――。能代工業OBで、1994年、松下電器に入社した1年目にチームをリーグ優勝へと導き、新人王とMVPを同時受賞。1995年、福岡ユニバーシアードでアレン・アイバーソン(元フィラデルフィア・76ersなど)率いるアメリカ代表にこそ敗れたものの、日本を準優勝に導き、自身は大会得点王に輝いた名選手だ。高校1年生の田臥がマッチアップしたのは、長谷川の全盛期といっても過言ではない1996年のこと。

「どれだけ押してもビクともしない、岩のようでした。でも、少しでも弱気になったら客席からブーイングが起こるし、先生にも怒られる」

 能代市民で埋まる体育館に、監督の「田臥、こいこさ!」の怒声が響いた。

「相手が誰であろうと、勝たないと怒られる。そこが能代のすごいところ。気持ちで負けるなんて話にならない。『だから、おまえと長谷川は違うんだ!』って何度も怒られましたね。本当に試合をするのが嫌でしたね」

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