【国内バスケ】田臥勇太が語る「能代工時代の憂鬱な夏」
7月特集 ああ、涙の夏合宿物語(2)
今年も夏がやってきた。3年連続3冠(高校総体/インターハイ、国体、全国高校選抜/ウィンターカップ)を成し遂げた能代工業高校を率いた田臥勇太は、この季節が来ると思い出す。「あの夏、もうコテンパンにやられましたね」。無敗を誇った『必勝不敗』の軍団が連戦連敗を喫した、あの夏の、夜の憂鬱(ゆううつ)がよみがえる――。
能代工時代の練習を懐かしそうに振り返る田臥勇太 秋田県北部、海沿いの町――能代。能代工業バスケ部に入部直後、神奈川県横浜市からやって来た、まだ少しほほのふっくらした少年はつぶやいた。
「高校の練習って、こんなに厳しいのか」
繰り返されるフットワーク練習、いつ終わるやも知れぬシャトルラン。
「どんなにキツくてもやるしかない。この練習を代々、先輩たちもやってきたんだ」
もちろん当時の田臥勇太は、その練習の先に、史上初となる3年連続高校3冠を獲得することも、自身が日本人初にして唯一のNBAプレーヤーになることも知る由(よし)はない。そもそも、コートサイドの加藤三彦監督が叫んでいる秋田弁の意味すら知らない。
「こいこさ!」
フリーズする田臥に、チームメイトが慌てて駆け寄って教えた。
「早く行け! 監督が『こっちに来い!』って言ってるぞ!」
夏休みに入り、練習は午前・午後の2部練習となった。午前は9時から2時間~3時間。午後は3時から再び2時間~3時間の練習を部員はこなした。
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