【国内バスケ】田臥勇太が語る「能代工時代の憂鬱な夏」 (2ページ目)
「夏の練習が一番キツかったですね。2部練なんで、単純に時間がいつもの倍。当然、フットワークもいつもの倍。能代の夏がさほど暑くないのが、せめてもの救いでした。そのかわり、冬はものすごい寒さでしたけど」
午前中は個々のスキルアップや体力アップを主目的とした練習、午後は戦術寄りの練習が多かった。
キツかったメニューのひとつが、3選手でパスを交換しながらコートを往復するスリーメンだ。何往復するかは、監督が黙ったまま差し出す指の本数が合図となる。
「3往復くらいまでは想定内なんですけど、先生の指が4本、5本となると、内心もう、『マジか!?』って。もちろん、驚いた顔なんてできませんでしたけどね」
ただ、「もっとキツかったのがシャトルラン」と田臥は続ける。
「ボールを使った練習は、やっぱりバスケなんで、なんだかんだいって楽しめるんです。でも、ボールを使わないシャトルランは......」
フロアを5往復。真夏の体育館に、バスケットシューズがこすれる音だけが響き続ける。
しかし、中には巧妙に、ライン手前でターンをする上級生もいたという。
「サボるのがうまい人がいるんです。下級生はちゃんとラインを踏まないと、後でとんでもないことになるんですけどね(笑)。基本的には小さい選手のほうが速いんで、大きな選手でズルをする選手がいたりすると、『なんで大きい選手より遅いんだ!』って先生が怒り出すんです。だから、下級生はもう死に物狂いで走ってましたね」
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