検索

先駆者・中田英寿、イタリア人記者が振り返る「衝撃的なセリエAデビュー」と「スクデット獲得への貢献」

  • ルカ・ビアンキン(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)●文 text by Luca Bianchin (La Gazzetta dello Sport)井川洋一●翻訳・構成 translation by Yoichi Igawa

【特集】現役引退から20年
先駆者・中田英寿の記憶(4)

 北中米ワールドカップの開幕が迫るなか、日本サッカーの歩みを振り返るうえで、ひとりの存在を抜きに語ることはできない。世界を舞台に闘い、日本代表の価値観を塗り替えた先駆者──中田英寿。2006年ドイツワールドカップ直後の現役引退からもうすぐ20年。本特集では、さまざまな視点と書き手によって、ヒデの軌跡を立体的に振り返る。

 第4回では、キャリアのハイライトともいえるイタリア時代前期を、現地スポーツ紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』の記者が振り返る。

イタリアでの1年目、ペルージャの街を背景に笑顔を見せる中田英寿 photo by Franco Origlia/Getty Imagesイタリアでの1年目、ペルージャの街を背景に笑顔を見せる中田英寿 photo by Franco Origlia/Getty Images よい話と、そうでない話がある。

 でもせっかくだから、よい話からしようと思う。中田英寿がイタリアで過ごした8年間のクロニクルを順序立てて追っていけば、必然的にそうなるものだし。

 中田がイタリアに住み始めたのは、1998年の夏だ。日本が初めて出場したフランスW杯で、短髪をオレンジ色に染めた日本の背番号7を、ペルージャのルチアーノ・ガウッチ会長が見初め、セリエAに戻ってきたばかりの自身のクラブに迎え入れた。推定移籍金は、私が勤務する新聞の報道では、30億リラ(約3億円)となっている。

 ただしその1年半前の1996年1月に、中田はすでに本物のカルチョに触れていた。ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)に所属していた当時19歳のチェントロカンピスタ(ミッドフィールダー)は、トリノの寒空の下、ユベントスの練習場にいた。黒いタイツと手袋をして、イタリアきっての名門クラブのトライアルを受けに来ていたのだ。

 だが中田はユベントスに入団しなかった。テストの合否は定かではないが、この賢明なジャポネーゼはきっと、その時点でユーベに加入しても自らに出番はないと踏んだのではないか。なにしろ当時、ユベントスの中盤にはフランス代表ディディエ・デシャン、イタリア代表アントニオ・コンテ、ポルトガル代表パウロ・ソウザ、ユーゴスラビア代表ヴラディミル・ユーゴヴィッチら、各国の一線級が集い、半年後にはジネディーヌ・ジダンも加わることになるのだ。

 出場機会がなければ、どんなクラブにいても意味がない──。のちにそんな風に口にした中田らしい判断だったと思える。

1 / 4

キーワード

このページのトップに戻る