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中田英寿がセリエAにやってきた! またもワールドカップ出場を逃したイタリアサッカーの黄金期回想録

  • 利根川晶子●文 text by Akiko Tonegawa

【特集】現役引退から20年 
先駆者・中田英寿の記憶 (3)

 北中米ワールドカップの開幕が迫るなか、日本サッカーの歩みを振り返るうえで、ひとりの存在を抜きに語ることはできない。世界を舞台に闘い、日本代表の価値観を塗り替えた先駆者――中田英寿。2006年ドイツワールドカップ直後の現役引退からもうすぐ20年。本特集では、さまざまな視点と書き手によって、ヒデの軌跡を立体的に振り返る。

 第3回は、長年イタリアで取材をしてきたライターが、セリエAの1990年代とそこに現れた中田を重ね合わせて、カルチョ(サッカー)の黄金期を回想する――。

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1998年、セリエAのペルージャに入団、ユベントスと対戦した中田英寿 photo by S.Giglio / Football Press1998年、セリエAのペルージャに入団、ユベントスと対戦した中田英寿 photo by S.Giglio / Football Press イタリアがワールドカップ出場を逃した。しかもこれで3大会連続だ......。ボスニア・ヘルツェゴビナとのPK戦に敗れると、イタリア国民は黙り込んだ。

 8年前のロシアワールドカップを逃した時は「アポカリプス(世界の終わり)」だと言って嘆き悲しんだ。前回のカタールワールドカップを逃した時はイタリア中に怒りが渦巻いた。そして3度目は、もう苦笑いするしかないという空気が漂っている。

「ここで負けておいてよかった。そうでなければ世界中に醜態をさらすところだった」

 そんな自虐とも負け惜しみともとれる意見が、あちこちで聞かれた。

 かつてサッカーといえばイタリアだった。リーグ戦の華やかさに関しては他の追随を許さなかった。日本でも、ある一定以上の年齢の人は、「セリエA」という言葉を聞くだけでワクワクした記憶があるのではないか。

 その黄金期のセリエAにおいて、日本人として初めてプレーしたのが三浦知良。1994年のことだった。ただしこのとき、日本にとってはワールドカップ出場なんて夢のまた夢。セリエAも別世界だった。そして中田英寿が登場したのが1998年。スタジアムに「ナカタ」コールが鳴り響いた。

 いかにイタリアが世界を席巻していたかは、たとえば1990年のイタリアワールドカップを見ればよくわかる。当時はまだ各チームに外国人選手枠は3つしか認められていなかったが、ワールドカップに出場した強豪国のスター選手は、ほぼ全員がセリエAのチームに属していた。

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