【欧州サッカー】バッジョが10番を譲った「とびっきりの逸材」 サビチェビッチのドリブルにミラニスタは酔いしれた (2ページ目)
【エレガントかつパワフルなドリブル】
そのユーゴスラビア代表において、デヤン・サビチェビッチも類(たぐい)まれなセンスを高く評価されていたひとりである。
守備意識が高くなかったことと、好不調の波が激しかったことが災いし、定位置を確保できなかった時期もある。「エレガントなプレーヤーはひとりで十分」というオシム監督の方針ゆえに、ユーゴスラビア代表でストイコビッチとの共存は多くなかった。
ただ、サビチェビッチのドリブルは圧巻だった。足の裏を巧みに使いながら前進し、なおかつマーカーとの間合いも絶妙だ。飛び込めばすかされ、待っていると前に出られる。ボールを股に通される。
また、体幹がすぐれていたのだろう。ちょっとやそっとのチャージではバランスを崩さず、そのまま驚異的なスピードでゴールに向かっていく。あるいは理解不能な角度に切り返したり、突然ストップしたり......。エレガントかつパワフルなドリブラーは、当時、いや、近代フットボールでも希少価値だ。
ちなみにミランでサビチェビッチを指導したファビオ・カペッロは、稀代の名手を次のように評している。
「守備面はかなり緩かったが、ドリブルの技術とゲーム展開を瞬時に読む力には舌を巻いた。ともに戦った選手のなかからベストイレブンを選ぶなら、4-3-3の左ウイングにはサビチェビッチを起用する」
サビチェビッチが東欧サッカーを代表する名門レッドスター・ベオグラードに移籍したのは22歳。そこでストイコビッチとともに華やかなプレーで観客を魅了し、25歳の時に名将カペッロ率いるミランからオファーを受け、ユーゴスラビアを離れてイタリアへと旅立つ。
セリエA初年度の1992-93シーズンは、外国人枠の問題もあって残念ながら真価を発揮できなかった。しかし、ルート・フリットがサンプドリアに、フランク・ライカールトがアヤックスに去った1993-94シーズンから、左ウイングとして確固たる地位を築いていく。
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