アンドリー・シェフチェンコの笑顔がもう一度見たい ウクライナの英雄は今、祖国を助けるために奔走している (3ページ目)
【チェルシー移籍は失敗に終わった】
2006-07シーズン、ミランからプレミアリーグのチェルシーに移籍した。
遅きに失した感は否めない。なぜならシェフチェンコは30歳になり、フィジカルの上積みが期待できなかったからだ。
プレミアリーグはセリエAよりプレー強度が高く、DFは直線的に襲いかかってくる。身体をぶつけ合ってバランスが崩れる。抜き去ったはずなのに追いつかれる。
さらに、この移籍は現場の声が反映されていなかった。当時、チェルシーのオーナーを務めていたロマン・アブラモヴィッチの肝いりで実現したにすぎず、ジョゼ・モウリーニョ監督は最後までシェフチェンコ獲得に難色を示していたという。年齢が引っかかっていたのだろうか。
シェフチェンコの動きは芳しくなかった。手を抜いているわけではない。だが、スピードもパワーも本来のレベルからはほど遠い。スタミナが切れるケースも散見した。
「2006年のドイツワールドカップでひざを痛め、身体のキレが失われてしまった。ヘルニアも併発し、気力すら維持できなくなっていた」
シェフチェンコの述懐である。頑健と思われてきた肉体には、いつの間にか甚大なダメージが蓄積していた。
もちろん、仕組みの違いも苦戦の要因ではあるだろう。ミランは中盤にアンドレア・ピルロ、クラレンス・セードルフ、カカといったパサーを擁し、速攻も遅攻も自由自在だった。
一方、チェルシーの中盤はフランク・ランパード、マイケル・エッシェンのハードワーカーが軸だった。前線では強力なポストワーカーのディディエ・ドログバが待っている。シェフチェンコが戸惑ったのは致し方ない。
2006-07シーズンは51試合・14ゴール。翌シーズンはニコラ・アネルカに定位置争いで敗れ、24試合・8ゴール。結果として、チェルシー移籍は失敗に終わった。
しかし、ケガをしていなかったら、チェルシーよりもテクニカルで中盤に極上のパサーを擁する、スティーヴン・ジェラードとシャビ・アロンソが居並んでいたリバプールを選んでいれば、シェフチェンコはプレミアリーグでも通用したのではないだろうか。移籍の難しさを如実に表す一例である。
3 / 4