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亡きヴィアリとイタリア代表監督マンチーニ。イタリアが涙した「双子」の友情の物語 (2ページ目)

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko
  • photo by AP/AFLO

【サンプドリアでコンビ結成】

 生い立ちも違った。ヴィアリはクレモナ郊外に城を持つような裕福な家庭の5人兄弟の末っ子。皆にかわいがられ、プロになっても自宅から通っていた。一方、マンチーニは13歳の年にはすでに家から200キロ離れたボローニャに入り、家族や友人からも離れ、早く大人になることを求められた。

 そんなふたりの運命が交わるきっかけを作ったのは、1979年にサンプドリアの会長となったパオロ・マントヴァーニだった。彼は常々、セリエAでビッグクラブばかりが優勝することに不満を持ち、彼らに一矢報いるため、若く優秀なチームを作りたいと思っていた。

 その手始めとして獲得したのが、ボローニャですでに名声を確立していたマンチーニだった。そしてその2年後、彼とはタイプの違う強力なアタッカーをその横に配した。ヴィアリだ。マンチーニ自身も、ユース代表で一緒になったヴィアリをサンプドリアに誘ったという。

「若くて強い、面白いチームを作ろうとしているから、お前も来ないか? いつかは必ずスクデットを獲るチームだ」

 実際、サンプドリアはほぼ同年代の若い選手で構成されたチームで、古い考えにとらわれず、皆が同じフィロソフィーを持っていた。それは勝つだけでなく、楽しんで勝つこと。独身者も多く、試合に勝った日には必ずみんなでレストランや誰かの家に行って勝利を祝い、まるで大きな家族のようだった。当時チームに所属していた選手たちは口をそろえて「あんなチームは二度と作れないと思う」と言う。

 なかでも仲が良かったのはヴィアリとマンチーニだった。彼らは最初、同じ家に住み、その後、それぞれが家を持った後もご近所同士だった。朝起きたら一緒に練習に行って、一緒に昼飯を食べて、午後も一緒で、夜も一緒に遊びに出かけた。ほぼ10年間、そんな日々を過ごしていた。

"ゴールの双子"が初めて組んだ1984-1985シーズン。ふたりは20歳で、セリエAで一番若いトップのコンビだった。しかしチームをより高みに導く片鱗は見せ、初年度にしてサンプドリアをクラブ史上初のコッパイタリア優勝に導いた。

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