亡きヴィアリとイタリア代表監督マンチーニ。イタリアが涙した「双子」の友情の物語 (4ページ目)

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko
  • photo by AP/AFLO

【チームメイトを笑顔にしたヴィアリ】

 だが一番ラッキーだったのは、このふたりをトップに配したサンプドリアだろう。1989-1990シーズンにはついに初の国際タイトル、カップ・ウィナーズカップを手に入れる。その前年も決勝まで進みながら優勝できなかっただけに、その喜びはひとしおだった。延長後半の決勝ゴールはマンチーニのアシストからヴィアリがヘッドで叩きこんだものだった。

 ただ、イタリア代表ではふたりともラッキーとは言えなかった。自国で開催された1990年のW杯で、マンチーニは結局、1分もプレーできなかった。代表監督のアゼリオ・ヴィチーニはロベルト・バッジョのほうを気に入っていたからだ。またヴィアリは主力としてスタートしたが、調子が悪く、ブレイクしたサルバトーレ・スキラッチにその座を奪われてしまった。

 イタリアは3位で終わったが、ヴィアリとマンチーニにとっては満足のいく大会ではなかった。もしかしたらその悔しい思いが、その後につながったのかもしれない。

 W杯から2カ月、新しいシーズンが始まった。当時のセリエAには各国のスターが揃っていて、世界最高峰のリーグと言われていた。W杯で優勝したドイツトリオを擁するインテル、ディエゴ・マラドーナのナポリ、バッジョ、スキラッチのユベントス、オランダトリオのミラン。サンプドリアがスクデットを勝ち取るのは、ヨーロッパのカップ戦で勝つよりも難しい挑戦だった。しかし、優秀だが若かったチームも、この頃には成熟していた。

 ピッチを離れると、サンプドリアでは笑顔が絶えなかった。その中心は決まってヴィアリだったと、当時のチームメイトは証言する。監督の声真似をして仲間の家に電話したり、誰かがヘディングでピンポンをしていた時に球を生卵にすりかえたり。仲間でポーカーをし、最後にヴィアリが身ぐるみはがされることも多かった。

 こうした和気あいあいとした雰囲気のなかで、サンプドリアはトップ集団に入る。前年優勝のマラドーナのナポリとの対決では、ヴィアリとマンチーニがそれぞれ2ゴールを決め4-1で大勝。「もしかしたら本当に優勝できるかもしれない」と、この試合で選手たちは実感したという。

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