イタリアにユーロ優勝をもたらした友情。最期にヴィアリがマンチーニに託した言葉とは

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko
  • photo by REX/AFLO

ヴィアリとマンチーニ(後編)
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 1990-91シーズンにリーグ初優勝を果たしたサンプドリアは翌年、チャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)に参戦。ここでも前年のチャンピオン、レッドスターなど強豪を破って勝ち上がっていく。

 そして1992年5月20日、サンプドリアはサッカーの殿堂ウェンブリーでヨーロッパ王者の座をかけバルセロナと戦った。その前年までリーグ優勝もしたことのなかった小さなクラブが、ヨーロッパの頂点を目指す。サンプドリアの勝利のサイクロンの総仕上げのような試合だった。

 だが、バルセロナは手強かった。実はバルサもそれまでチャンピオンズカップで優勝経験がなく、彼等にとっても喉から手が出るほど欲しいタイトルだった。監督はヨハン・クライフで、DFにはロナルド・クーマン、アタッカーにフリスト・ストイチコフ、中盤にはミカエル・ラウドルップがいて、ゴールを守るのはアンドニ・ズピサレーダだった。

 試合は五分五分でどちらが勝ってもおかしくなかった。タイムアップ10分前にジャンルカ・ヴィアリがシュート、決まれば全ての運命を変えるようなシュートだったが、これはゴールをわずかにそれた。その5分後にもヴィアリが再び攻め上がるがこれもゴールには入らない。ヴィアリはこの時、運命のようなものを感じたという。

 勝利の女神はヴィアリとロベルト・マンチーニのおとぎ話にハッピーエンドを用意しなかった。延長後半に入ってバルセロナにFKが与えられ、クーマンがゴールに突き刺した。タイムアップの笛は、サンプドリアのひとつの時代の幕を閉じる知らせでもあった。"ゴールの双子"はもう別れられない存在ではなかった。ヴィアリはこの翌日、ユベントスに移籍することを皆に告げた。それぞれが新たな挑戦に挑む時だった。

イタリア代表を指揮しユーロを制したロベルト・マンチーニ(右)とジャンルカ・ヴィアリのコンビイタリア代表を指揮しユーロを制したロベルト・マンチーニ(右)とジャンルカ・ヴィアリのコンビこの記事に関連する写真を見る ヴィアリとマンチーニはその後しばらく、別々の道を進む。ヴィアリはユベントスに移籍しチャンピオンカップを勝ち取り、その後チェルシーへ。マンチーニは97年までサンプドリアでプレーしたのちにラツィオに移籍、その後は監督となりマンチェスター・シティやインテルなどを率いた。

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