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メッシとネイマールの涙で終わったコパ・アメリカ。その舞台裏にあったまさかのドタバタ劇 (2ページ目)

  • 三村高之●文 text by Mimura Takayuki
  • photo by Reuters/AFLO

 しかし、ブラジルも1995年ウルグアイ大会から本腰を入れるようになり、その時はPK戦で敗れ準優勝だったものの、1997年ボリビア大会、1999年パラグアイ大会、2004年ペルー大会、2007年ベネズエラ大会で優勝。2004年と2007年は決勝戦でアルゼンチンを下している。このように長らくライバルに差をつけられていたアルゼンチンにとって、コパ・アメリカ制覇は悲願以外の何ものでもなかった。

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 大会中止を求める声が強い中で強行開催し、とりあえずは"無事"に幕を閉じたコパ・アメリカ。しかし今後、火種がどこかで燃え盛る可能性も十分ある。

 優勝が決まった瞬間、アルゼンチンでは街中で歓声が沸き起こり、花火が打ち上げられ、クラクションが鳴り響いた。試合終了は夜の23時過ぎだったが、この騒ぎは朝まで続いた。

 首都ブエノスアイレスでは、おめでたいことがあると人々がオベリスコ広場に集まる。そこも当然、人の波で溢れていた。アルゼンチンもコロナ禍は深刻で、外国からの帰国者を1日600人までとする規制が猶予期間なしで始まった。このため、母国に帰れず、滞在先での費用も底をついたという帰国難民が数万人も発生している。そんな状況下で多くの人々が集まってお祭り騒ぎになれば、さらなる感染拡大は必至だろう。

 準決勝はブラジルがペルーを1-0で下し、アルゼンチンはコロンビアにPK戦の末に勝ち上がった。ファイナリストが決まった翌日、CONMEBOL(南米サッカー連盟)は突如、決勝戦会場であるマラカナンスタジアムがあるリオデジャネイロ州に、有観客試合認可の申請を出した。

 寝耳に水の動きだったが、観客数は収容人数の10%ということで、州はこれを許可。ブラジル協会とアルゼンチン協会にそれぞれ2200枚のチケットを渡し、これは無償でサポーターに配布することとなった。ただし、アルゼンチンからは出入国規制のためブラジルに行くことはできず、対象はブラジル在住のアルゼンチン人に限られた。また、入場にはPCR検査による陰性証明書が必要だという告知が遅れたため、試合当日の昼時点で約250人しかチケットを入手できていないという一幕もあった。

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