川島永嗣、2部降格の「チーム崩壊状態」も
心折れず、35歳のW杯へ (3ページ目)
長く海外でプレーする日本人選手は、逆境に強いということで共通している。最初の国にベルギーを選んだ川島の場合、リールセにもスタンダール・リエージュにもファンから愛されるGKがおり、懐疑的な視線を浴びながら自分の地位を築いていった。リールセでは2季連続でチーム内MVPに選ばれ、スタンダールでは2013-2014シーズンに21回のクリーンシート(無失点)を達成している。
しかし2014-2015シーズンは、ブラジルW杯も含めた前のシーズンの疲労を持ち越してしまい、「自分のキャパシティを超えてしまった」(川島)という状況から極度の不振に陥った。そのときのスタンダールのサポーターから受けた過激な批判には、「サッカーという競技を越えて、人間的な寂しさがあった」とまで川島に言わせた。
だが川島は、二歩下がっても三歩進む男である。ミスをしても、ケガをしても、無所属になっても、第3キーパーになっても、気づけば前に進んでいるのだ。
「自分のキャリアのなかですばらしい瞬間もたくさんあるけれど、苦しい時間のほうがたくさんあると思う。いちばん大事なのは、自分自身が何を求めてサッカー選手としてやっているかということ。苦しいときに支えになるのは、そこだと思います」
次の移籍先が決まらぬまま、スタンダール退団からダンディ・ユナイテッド入団まで、半年を要したこともある。チャレンジのためにはリスクを負うことをいとわないのが、川島永嗣である。
「人生は1回しかない。サッカー選手としてのキャリアも1回しかない。挑戦してダメだったら、それはしょうがないし、そのとき考えればいい。だけど、挑戦しないで何かをあきらめるというのは、僕はしたくない。その可能性があるんだったら、常にそこにチャレンジし続けたいなと思います」
チャレンジするからこそ、川島さんは五大リーグのひとつでプレーできたのでしょうか――。そう尋ねると、「まさか自分が『こういう形の経験』をできるとは思っていなかった」という答えが返ってきた。
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