川島永嗣、2部降格の「チーム崩壊状態」も
心折れず、35歳のW杯へ (2ページ目)
メスの総失点数は「76」とリーグ最下位だった。38試合中30試合でプレーした川島も、パリ・サンジェルマンやマルセイユ相手に5失点、6失点を喫することもあった。必ずしも満足のいく数字を残せなかった川島だが、それでもアンツ監督の配慮により最終戦でプレーする機会を得た。
ボルドー戦の4失点のなかには、川島にストップしてもらいたかったゴールもあった。だが、シーズンを通して振り返ってみれば、川島の大量失点をしてもあきらめない姿勢、ビッグセーブ、そしてPKストッパーぶりは現地でも高く評価されていた。2月にはクラブの月間MVPにも選ばれている。
最後まで試合を見守ったファンはタイムアップの笛が鳴ると、選手たちに労(ねぎら)いの拍手を送った。きっとアンツ監督は、この拍手を川島にも受けてほしかったのだろう。ゆっくりとピッチを1周して観客の声援に応えた川島は、キーパーグロープやユニフォームの上下を丁寧にファンに手渡し、ロッカールームへと引き上げていった。そして、試合後のインタビューエリアに姿を現した川島は、多数のフランスメディアに囲まれて、堂々たるフランス語で質問に答えていた。
このボルドー戦の前、私はスタッド・サン=サンフォリアンと隣接する「スタッド・デザベーユ」という小さな陸上競技場に行き、メスのリザーブチームの試合を見た。カテゴリーは5部リーグ。20歳前後の若い選手でチームを固めたメスのリザーブチームは圧倒的に相手を押し込むものの、勝負どころで幼さを露呈して0-2で完敗した。ギャラリーは目算でざっと200人ほど。
「僕もあそこで試合をしてたんですよ」と川島は振り返る。2年前、第3キーパーという位置づけでメスに入団した川島は、ひと回り以上も年下の若手選手たちとアマチュアリーグを戦っていたのだ。
今季が開幕したとき、川島は第2キーパーだった。メスでの出場機会が限られたなかで、川島が日本代表で見せた守りには円熟味を感じたし、メスでの正位置を奪ってからは失点数を超越したリスペクトをフランス国内で得ていた。
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