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最下位ハノーファーの清武弘嗣が語る。「僕はJリーグのブラジル人みたいなもの」 (3ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko photo by Getty Images

 1トップに近い場所でスタートした清武だが、DFラインからのパスを引き出す選手が不在で、自ら下がってボールを受ける場面も多かった。しかも、パスの受け手が見つからず、ドリブルで時間を稼ぐプレーが何度もあった。

「誰もパスを受けに来ないというシーンは多々あった。やっぱりそこが問題。常に同じサッカーができないと厳しい。シュトゥットガルト戦、ヴォルフスブルク戦の前半はできたけど、後半になるとできなくなって、今日は前後半できなかった。それは選手自身に問題がある。また一週間空くから……。帰ります!」

 何かを断ち切るようにそう言うと、清武はロッカーへ戻った。

 2012年夏、ロンドン五輪を前にニュルンベルクへ移籍。中心選手として活躍したが、13~14シーズンに2部へ降格。ハノーファーへの移籍を決めて挑んだW杯ブラジル大会では8分間の出場にとどまる。その後、3カ月間、代表招集がなかった。「最初はショックでしたけど、『あぁ、これが普通なんだ』と思えたら、逆に毎日のこと、クラブに集中できるようになった。ニュルンベルク時代は自分のことに精一杯で、残留争い、W杯と、背負うものが多すぎた」と、W杯という重みからの解放が、清武の気持ちを変える結果になった。

 しかし、ハノーファーで迎えた14~15シーズンも残留を争うことになった。なんとか残留を決めて帰国。ハリルホジッチ監督のチームへ招集されたものの、試合直前に右中足骨を骨折してしまう。9月12日、戦列へ復帰。背番号10を担い、開幕7試合勝ちのないチームで奮闘。出場9試合で3得点と好調さを見せていた。けれども11月の代表遠征で再度骨折し、離脱を余儀なくされた。

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