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【ブラジル】最強のブラジル代表はなぜW杯で優勝できなかったのか (4ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Getty Images

 エジムンドが機能しない理由は、入ったポジションとも関係していた。本来のフォワードではない右MFでのプレイに彼は苦しんだ。ブラジルの布陣は 4-2-2-2。FWは2人と決まっている。次の列も同様。つまりFWの3番手がR-Rコンビと一緒にピッチに立てない設定になっている。一緒に立とうとすれば、第2列しか道はない。だがブラジル代表は、普段からそんな練習はしていない。

 たとえば布陣を4-2-3-1に変える選択肢があれば、メンバー構成に融通はもう少し効いていた。ロマーリオを1トップ下に下げ、エジムンドを4-2-3-1の3の右で使ったほうが、4-2-2-2の中に彼らを押し込むより、コンビは円滑になったと思われる。

 その頃、売り出し中だったデニウソンとレオナルドが組む4-2-2-2の2列目の収まりも悪かった。2人はともに利き足は左。本来右で構えるべきレオナルドは、右に居心地の悪さを覚えるのか、気がつけば真ん中よりさらに左で、デニウソンと近い距離で構えてしまった。

 前年の10連戦当時は、ドゥンガとコンビを組むもう一人のボランチ、フラビオ・コンセイソンが、第2列の2人が左に偏ることで生まれる右のスペースに飛び出し、バランスをとっていた。しかし、それは飛び出しすぎだとの指摘を受け、98年に入るとスタメンは深い位置で構えるタイプのセサール・サンパイオに代わっていた。

 すなわちブラジルの右サイドは、相手ボールに転じるや穴となり狙われた。その結果右サイドバックのカフーは上がれずじまい。左サイドのロベルト・カルロス も、前方にデニウソンとレオナルドが構えているため、攻め上がる必然に迫られていなかった。すなわち流動性ゼロ。チームはすっかり動かなくなっていた。

 だが、それ以上に大きかったことは、大エース、ロマーリオが最終メンバーから外れたことだ。その真相を知る人は少ないとは、現地で聞いた話だが、その結果、チームは根幹から崩れることになった。

 98年フランスW杯、ブラジルは苦労しながらも何とか決勝まで勝ち残った。準優勝という結果は、けっして悪いものではない。決勝戦を争ったフランスとは、 その1年前に行なわれたトルノア・ドゥ・フランスでも対戦していた。スコアは1-1ながら、内容はブラジルの7対3。開催国フランスに花を持たせる優しさを見せた一戦と言うべき試合だった。その1年後、そのフランスにブラジルが0-3で敗れる姿を想像した人は、どれほどいただろうか。

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