清武弘嗣はなぜ、過酷なリハビリに挑み続けるのか 「温かい応援に甘んじず、結果で応える姿を取り戻さなきゃいけない」 (5ページ目)
「岡ちゃん(岡崎慎司)です! 岡ちゃんとは常日頃から話をしているし、僕のケガの話も聞いてもらっているからだと思いますけど、今回のケガをした時も『岡ちゃん、俺、もうちょっとやります』って伝えたら『どこまでサッカーしたいねん! そこまでやったらもう十分やって。これ以上、リハビリ、しんどすぎるやん!』と言われました(笑)。
でも僕にとってはそう言ってくれる人がいるのもすごくありがたいです。気持ちもラクになるし、岡ちゃんを見返してやろう、とも思うから......って伝えたら、いつも『もうええわ! おまえに何を言っても無理やから、ここまできたら最後までやり抜け!』と。最後はいつもそうやって背中を押してくれるんですけどね。それに......やっぱり、自分ではまだ『十分ではない』んですよね」
一拍置いて、言葉が熱を帯びる。
「あまりにリハビリ期間が長すぎて、時々『俺は何のためにこんなに体を鍛えてるんやろ?』とか『何のために戦ってるんや?』って思うことはあります。でも、サッカー選手としての自分に対して、よくやっているなと思ったことは一度もない。
それに、僕が達成感を持っていいのは、この大分を何としてでもJ1に昇格させてからなので。それをチームのみんなと実現して初めて、自分のキャリアに対する"答え"も出るような気もしています」
そのために、彼は今日もリハビリという途方もない戦いに真っ向勝負を挑み続けている。36歳になった今も、心の奥底から何度でも湧き上がってくる「ボール蹴りてぇ、思い切り走りてぇ、サッカーしてぇー!」という感情に背中を押されながら、だ。
そしてその熱は、必ずや清武弘嗣を再びピッチで輝かせる。
(おわり)
清武弘嗣(きよたけ・ひろし)
1989年11月12日生まれ。大分県出身。大分トリニータのアカデミーで育ち、2008年にトップチームに昇格。2010年、セレッソ大阪に完全移籍して才能が開花。2012年にドイツのニュルンベルクに移籍。以降、ハノーファー、スペインのセビージャでもプレー。2017年にセレッソ大阪へ復帰し、2024年にサガン鳥栖へ期限付き移籍したあと、2025年に古巣の大分へ完全移籍。その間、日本代表、五輪代表でも活躍。2012年ロンドン五輪、2014年ブラジルW杯に出場した。国際Aマッチ出場43試合5得点。
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