清武弘嗣はなぜ、過酷なリハビリに挑み続けるのか 「温かい応援に甘んじず、結果で応える姿を取り戻さなきゃいけない」 (3ページ目)
また、たくさんのサッカーに対する気づきをもらった「めちゃめちゃ濃厚な半年だった」とも言葉を続ける。
「それまで、僕はあまり個人のプレーについて言われてこなかったというか。20代前半に出会ったレヴィー・クルピ監督には数字への意識のところを口酸っぱく言われましたけど、プレー自体はずっと感覚でやってきた部分が大きかったんです。
でも、健太さんは『こういう状況では体の向きをこうしたら動きやすいぞ』『ヘソをこっちに向ける意識を持ったら次のプレーがしやすいだろう』みたいに一つひとつのプレーを細かく言語化して伝えてくれた。実際にその意識を持つと『確かに!』と思えることも多かったですしね。
それによって、同じプレーをしていてもより確信を持ってプレーできるような感覚になることも多かった。結果的に監督交代になってしまいましたけど、(後任の木谷)公亮さんもその流れを受け継いでくれて、すごくいいチームになったし、だからこそ何が何でもこのチームでJ1に残留したいという思いは強かったです。
たった半年でこんなに愛着を持てるクラブになるんだって、自分でも驚くくらい鳥栖への思いを強めていたし、『このチームのために』『監督のために』と思える自分もいました。結果的にJ2降格となり、僕自身も半年でチームを離れることになりましたけど、サッカー人生の終盤に鳥栖でプレーできたことも、こうしてサッカーをうまくなりたいと思い続けられていることにつながっている気がします」
2024年限りで期限付き移籍元のセレッソとも契約満了になったことを受けて2025年、清武が新天地に選んだのは大分トリニータだ。サッカー選手としてのキャリアをどういうモチベーションで過ごすのかを考えた時に、自分の情熱をわかりやすく燃やせる場所はひとつしかないと考えた。
「セレッソ、鳥栖とそれぞれに自分の情熱を燃やす理由が明確にあったからこそ、2024年のシーズンを終えて、少し自分が"空っぽ"になっているのを感じたんです。それもあってこの先、自分のサッカーに対する情熱をどこに持っていけばモチベーションを高い状態で維持しながらサッカーができるのか、考えてみました。
そこで浮かんだのが、大分でした。アカデミー時代から育ててもらい、プロにしてくれた大分をもう一度J1に昇格させることが自分にとって何よりのやりがいであり、モチベーションにつながると思いました」
実際、その情熱は加入して1年が経とうとしている今も色褪せていない。ケガによる離脱はあったものの、サッカーに対するモチベーションも常にピークの状態でシーズンを進んできたという。ただ一方で、地元の人たちの温かさ、サッカー愛に触れるたびに、17年ぶりに舞い戻った大分に対して、危機感を抱いているのも正直なところだ。
「大分は相当、地元の人たちに愛されていると思うんです。この半年は、治療も兼ねてよく地元のプールにも足を運んだんですけど、そこで出会う60代、70代のおっちゃん、おばちゃんたちと会話をしていても、それはすごく感じます。大分の結果もよく知っていて『この間の試合はようやく勝てたな』『負けちゃったな』みたいな声もよくかけられたし、『トリニータもなかなか勝てんなぁ。悔しいけど応援するで』みたいな言葉から愛情を感じる機会もたくさんあります。
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