【Jリーグ】セレッソ大阪「長居の悲劇」から20年 森島寛晃が「重圧はなかった」と言いきれる理由 (2ページ目)
【守備をがんばった印象はない】
「小林監督はたしかに細やかでしたね。相手のやり方だったり、選手の特徴をしっかりと伝えてくれましたし、時間をかけながらいろいろ準備をする監督だったので、ミーティング時間は長いほうでしたね(笑)」
伝統的に攻撃スタイルを標榜してきたセレッソにとっては、ややタイプの異なる指揮官だった。ましてや攻撃的な選手である森島にとって、3-4-2-1の布陣による守備を重視するスタイルにストレスを感じる部分があったのではないか。
「いや、意外とそんなことはなかったんですよ。堅くいくところもありましたけど、チームとしてやるべきものが整理されていましたから。
もちろん、守備の安定がなければ攻撃もできません。逆に守備のところのバランスをしっかりと整えてくれたから、攻撃にもスムーズにいけたんですよね。攻撃をイメージしながら、守備ができていたというか。
たしかに攻める機会は少なかったかもしれないですけど、ウイングバックと絡みながら、コンビネーションで崩していく楽しさはありました。自分がサッカーをやっていたなかでも2005年は面白いゲームができていたシーズンだったなって思っています」
森島のポジティブな記憶を後押しするのは、結果がついてきたことと、もちろん無関係ではない。開幕3連敗を喫したセレッソだったが、4節の名古屋グランパス戦で森島のゴールを守り抜きシーズン初勝利を挙げると、そこから8試合負けなしを記録。得点力に乏しく勝ちきれない試合も多かったが、安定した守備を保ち、着実に勝ち点を積み上げていった。
「たしかに負けていないから、楽しかった部分もあったと思います。当時の記録を見ると、あまり点は取れていないんですが、けっこう崩す場面も作れた印象ですし、ボールが動いた感じがあるんですよね。前からの守備も求められていましたけど、やることが整理されていたので、自分のなかでは『守備をがんばった』という印象はあまりないんですよ」
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