オシムを日本に呼んだ男・祖母井秀隆はなぜ最後に日本人監督を選んだのか (3ページ目)
―どんな選手に対しても可能性を否定せずに選手を育てあげ、自身も国内外の何百人というサッカー監督を見て来た祖母井さんが、上島さんに惹かれたのはどんなところだったのでしょうか。
「上島さんとは日独フットボールアカデミーで知り合ったんですが、それが縁で週に二回ほど、大学を見てもらった。そうしたら選手たちがみるみるうちに変わっていった。上島さんは汗をかいて努力を継続する選手を大事にして、試合に出していくんです。それも残り5分の出場とかではなくて先発で出して育てていく。先だっての千葉商科大学での試合では象徴的なことがありました。高校時代に一試合も出ていない選手をフルタイムで出場させたんです。そうしたらその試合のベストプレーヤーになったんです。部員35人全員がサッカーをしているという感覚ですね」
祖母井は上島の新しい発想を評価していた。
「どこの指導者も技術を学ばせて蹴れるようになってから、ゲームに入れて行く。でも上島さんは、そもそも逆の発想なんですね。まずピッチの上がどういう状況にあるのか。そこでどういうふうに動くべきかを考えさせてから技術をつけさせる。練習でもあえてテーマを言わずに、自分で判断させる。今はサッカー協会が主導するようなコーチングの教本があって、そこに集中していきますが、オシムさんも言っていたようにその教則の不意を突くのがサッカーの進歩じゃないですか。オシムさんはホワイトボードを使ったミーティングもやらなかったんですが、上島さんの指導は今の日本の主流にあるものとは反対に位置するもので、それが新鮮でしたね」
(つづく)
後編>>祖母井秀隆が語る日本サッカーに本当に必要なこと
■Profile
祖母井秀隆(うばがいひでたか)
1951年生まれ。1995年よりジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)の育成部長、1997年から2006年までGMを務めた。2007年より、フランス・リーグ2部のグルノーブル・フット38のGMに就任。欧州クラブでGMを務めた初めての日本人となった。その後、2010年から2014年まで京都サンガF.C.のGMを務め、2016年より淑徳大学客員教授、サッカー部アドバイザーに就任した。
著者プロフィール
木村元彦 (きむら・ゆきひこ)
ジャーナリスト。ノンフィクションライター。愛知県出身。アジア、東欧などの民族問題を中心に取材・執筆活動を展開。『オシムの言葉』(集英社)は2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞し、40万部のベストセラーになった。ほかに『争うは本意ならねど』(集英社)、『徳は孤ならず』(小学館)など著書多数。ランコ・ポポヴィッチの半生を描いた『コソボ 苦闘する親米国家』(集英社インターナショナル)が2023年1月26日に刊行された。
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