伊東輝悦が32年間で「うまい」思った選手とは?「最初に見た時は『なんだこれっ』と思った」 (2ページ目)
【オカちゃんの成長曲線はすごい】
1999年元日の天皇杯決勝は、そのひとつだ。クラブ消滅が決まっていた横浜フリューゲルスの対戦相手が、清水だったのである。
「よく覚えているけど、あれはやりにくかったな。フリューゲルスに勝ってほしいって空気に包まれていたから。実際にそうなったけど、こっちも勝ちたくて戦うわけだからね」
1999年の清水エスパルス時代 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 記憶に刻まれた選手にも触れてもらう。
「そりゃ、たくさんいますよ。その時々のチームでね」と、伊東は笑みを浮かべた。
記憶にメモリーされている選手のなかから、まずはサントスを挙げた。ジーコとともに鹿島アントラーズの黎明期を支え、1995年から2000年まで清水に在籍したブラジル人MFだ。
「1995年に移籍してきた時、俺はプロ3年目で、サントスは35歳くらいだったかな。トレーニングの姿勢とか身体のメンテナンスとかを、近くで見ることができた。プロサッカー選手のお手本みたいな選手でしたよ」
清水のチームメイトでは、ノボリこと澤登が特別な存在のひとりだ。長く中盤を構成したパートナーである。
「ノボリさん、大嶽(直人)さん、アデミール・サントスとかがいた東海大一が選手権で優勝して、自分も行きたいなと思ったのはちょっとあった。ノボリさんはだから、憧れっていう感じ」
自身より年下の選手では、岡崎慎司の名前が挙がってくる。「オカちゃんの成長曲線はすごいよ」と、声のトーンを上げた。
「最終ラインの裏へ抜けるタイミングとか、ボールの引き出し方は、入ってきた当時からいい感覚があった。その先のプレーにつながらないところが最初はあったんだけど、シュートまで持っていける、ドリブルもすると、できることがどんどん増えていった。そのうえで、守備での献身性は変わらない。すげえなと思いましたよ」
日本代表でも傑出した才能と共闘している。
「ゾノ(前園真聖)さんもヒデ(中田英寿)も、名波(浩)さんも、みんなすごかったよ。ほかにもすごい選手はいっぱいいる。名前を挙げたらキリがない。そのなかでも、(中村)俊輔のFKはハンパなかった。最初に見た時は『なんだこれっ』と思ったよ」
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