中村憲剛が引退から3年半で学んだこと「指導者の数だけスタイルがある。最初からガチガチに守る発想はない」 (4ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【いつ監督の出番が来てもおかしくない】

── 現役時代に培ってきたものは、監督になっても影響されると思いますか。意外と、現役時代はフォワードだった人が監督になれば守備的なサッカーをやっているケースもありますよね。

「僕は中盤ですから、攻撃・守備どちらの考えも理解できますし、うまくバランスを取って進めていくのではないかなと思う一方で、自分が育ってきたクラブは攻撃的な哲学を貫き続けてきているので、そのエッセンスは多分に入っていると思います。個人的にも『ボールを握って攻めたい』という想いは当然ありますし。

 だけど、さっきも言ったように、その時のメンバーによっては、それを体現することがなかなか難しい時もあると思います。だとすれば、守備から構築することも考えられます。もちろん、いきなり最初からガチガチに守るという発想は、今はないです。

 あとは、選手をうまく、強く、タフに成長させたいという想いは、指導者として普遍のテーマだと思っています。そのほうがお互いに楽しいですからね。中村憲剛のところでやるのは成長できるなと感じてもらえる、真剣に成長することを楽しめる空間にしたいです」

── やはり一流の監督には、人間力や求心力が備わっていますからね。

「『この人とやりたい』と思ってもらえないと、厳しい職業だと思います。かといって、気を遣いすぎると距離感がおかしくなってしまうので、そのあたりのバランス感覚はとても重要だと思います。

 そして、監督になったとしても自分にやれることに限界はあるので、コーチングスタッフや強化部・事業部を含め、クラブに関わるすべての方たちとの関係性やリレーションはとても大切になると思います。一方で、自分にしかできないこともあるとも思っていて、それが自分の唯一無二の武器になると思います。

 今はいろんなことを経験しながら幅を広げている段階ですが、S級を手にした以上、いつ出番が来てもおかしくないとも思っていますし、これからもしっかりと経験を積みながら成長し続けていきたいと思います」

<了>


【profile】
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都出身。久留米高校から中央大学に進学し、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに加入。2020年に現役を引退するまで移籍することなく18年間チームひと筋でプレーし、川崎に3度のJ1優勝(2017年、2018年、2020年)をもたらすなど黄金時代を築く。2016年にはJリーグ最優秀選手賞を受賞。日本代表・通算68試合6得点。ポジション=MF。身長175cm、体重65kg。

著者プロフィール

  • 原山裕平

    原山裕平 (はらやま・ゆうへい)

    スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。

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