中村憲剛が引退から3年半で学んだこと「指導者の数だけスタイルがある。最初からガチガチに守る発想はない」 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【『指導者・中村憲剛』を作ってもらった】

── 選手時代にはわからなかったことが、見えてきたということですね。

「練習をひとつとっても、選手と指導者の見るべきポイントが同じようで、まったく違うんです。選手の時はもっと局所的でよかったんですよね。自分がどうやってうまくやるかに集中して、成長する作業に専念していい立場でしたから。

 でも、指導者は当然、ひとりの選手だけを見るわけにはいきません。まずは自分のやりたいプレーモデルや理想のスタイルの全体像をしっかり持ったうえで、そのトレーニングのなかで選手たちに何を獲得してほしいのか、どう成長してほしいのかを明確に伝えられないといけません。

 この3年間のなかで、個人への基礎的なアプローチから、グループ、チーム戦術における個人への役割の提示や働きかけを、指導実践を通して学びました。だから、選手時代に培ったものだけでは、監督になるのは難しいと思います」

── 個人の知識や考え方だけでは、限度がありますしね。

「もちろん個人でも学べるものはあると思いますが、ライセンス講習会はチューターの方たちやほかの受講生の方たちからのフィードバックがあるのも、とても大きかったと思います。現場をやることで得られることはあるんですけど、どうしても孤独なところがありますし、インプットという観点で言えば限界があると思います。

 でもライセンス講習会では、本当に人の数だけ考え方だったり、アイデアだったり、想いがあるので、自分がやったものに対してみんなが忌憚(きたん)なく意見をしてくれるんです。今思えば、『指導者・中村憲剛』をみんなに作ってもらう時間はとても貴重でしたし、この講習会のよさのひとつだったなと思っています」

── ライセンス制度に対する否定的な意見として、画一的な指導になってしまうんじゃないかと危惧する声もありますが、実際のところはどうなんでしょうか?

「それは、少し前の話だと思います。チューターの方たちも、以前は言ったことをやってもらう感じだったと言っていました。要は、求めるものに沿えないとならないということですね。

 だけど、この何年かで状況は変わってきていますし、実際に自分の時も、採用するシステムや戦術を含め、オリジナリティを出していい環境になっていました。こうしなさい、こうするべきだと強要されることはなかったですし、その指導者の持っているものを指導実践で出してもらったうえで、たとえば前線からのプレスがもっとよくなるためにはどうすればいいのかを、みんなで話し合うような感じでした。

 そういう形に変わってきているので、画一的なものにはならないと思います。人によって、いろんな色があって面白かったです。3-5-2の人もいれば、4-3-3が好きな人もいたり。指導者の数だけスタイルがありましたから」

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