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北澤豪が語る30年前のJリーグ誕生秘話「骨折していたけど、スパイクの裏に特注で鉄板を入れて開幕戦のピッチに立った」 (5ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki, Getty Images

「プロリーグができたから、次は外を目指さなくちゃね、と話していました。アメリカW杯への出場をギリギリで逃して、次こそはという意識になっていたから、自分たちの目線を上げて外へ、という。それでまず、カズさんが出ていったんです」

── 北澤さんも海外移籍の可能性を模索した?

「行きたかったですよ。1995年頃かな、ポルトガルのスポルティング・リスボンへ、という話もあって。メディカルチェックの一歩手前ぐらいまで話は進んだけれど、クラブ側からすると『まずはJリーグを軌道に乗せる、成功させる』ことが大事だから『よし、行ってこい』という感じにはなかなかならなくて」

── 1993年の爆発的なブームがあり、1994年はその熱が持続しましたが、3年目の1995年あたりから人気は落ち着きます。というか、ブームからの落差が大きかったですね。

「うん、落ち込んだ時期がありましたね。個人的にはお客さんが何を望んでいるのか、少しわからない時期でもあった。サッカー好きの人は来てくれているけれど、新しい人たちは何を望んでいるのかが読めない、というか」

── そんなタイミングで、1996年に28年ぶりのオリンピック出場を果たします。

「アトランタ五輪に出た彼らは。面白いヤツらでね。前園(真聖)とか城(彰二)とか(川口)能活とか。Jリーグという環境がすでにあるなかで入ってきた彼らこそが、プロ1号みたいな感じかな。最初からプロサッカークラブに入っているので」

── アトランタ五輪でブラジルを破った彼らは、日本代表より自分たちのほうが強い、なんてことを言ったりもしていました。

「そこまで辿り着くには、先輩たちがいろいろな努力を積み重ねてきてくれたからだぞ、と思ったりもしましたよ(苦笑)。でも、Jリーグができたことによって、こういう変化が起こるんだなぁと。その次の世代になると、W杯に出るのが当たり前になるんですから」

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