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北澤豪が語る30年前のJリーグ誕生秘話「骨折していたけど、スパイクの裏に特注で鉄板を入れて開幕戦のピッチに立った」 (4ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki, Getty Images

── そういう選手たちと、水曜日・土曜日と週2回の日程で試合を重ねていきました。

「Jリーグ開幕の前年からスポーツクラブに入会して、開幕してからは今で言うパーソナルトレーナーをつけて、ウエイトトレーニングに取り組んでいました。そのジムにはプロレスラーの天龍源一郎さんとかが通っていて、専属のトレーナーをつけていたんです」

── Jリーグと並行して日本代表でもプレーしていましたから、アジアや世界というものをより身近に感じて、レベルアップの必要性を痛感していたところも?

「それもありました。開幕当時はヴェルディのクラブハウスが小さくて、筋トレの施設なんかも充実していなかったんです。自分でやっていかないと無理だな、間に合わない、と思っていました」

── その一方では、Jリーガーには華やかなイメージがつきまといました。とりわけ、ヴェルディの選手たちには。

「当時は20代でしたから、華やかな場所に興味はありましたよ。ただ、水曜・土曜と試合があって、アウェーで東京を離れることもあるから、遊んでばかりなんてことは物理的に無理でした。

 出かけるにしても、サッカーに支障が及ばないようなコントロールはしていましたし、Jリーグを知ってもらうための"ロビー活動"でもありました。ひとつの店に長く滞在しないで、どんどん次の店へ行って、いろいろな人に自分たちを知ってもらう。

 華やかな場所に来る流行に敏感な人たちに、サッカーに関心を持ってもらいたかったんです。『プロはプレーするだけでなく、世間の関心を惹きつけるもの大事だよ』と、カズさんがよく話していましたね」

── ロビー活動の翌日は、いつも以上に練習に熱を注いだ、とも聞きます。

「翌日の練習では、ランニングで先頭を走るのが僕らのノルマでした。食事にも気を遣っていました。独身の時には、母に食事を作ってもらったりもしていましたし」

── Jリーグ開幕後の変化と言えば、海外移籍もあげられます。ヴェルディのチームメイトだったカズさんは、1994年夏に世界最高峰と呼ばれていたセリエAのジェノアへ期限付き移籍しました。

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