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北澤豪が語る30年前のJリーグ誕生秘話「骨折していたけど、スパイクの裏に特注で鉄板を入れて開幕戦のピッチに立った」 (3ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki, Getty Images

── Jリーグのピッチに、世界のトップレベルが持ち込まれていたんですね。

「年齢的に運動量が落ちているとか、足の痛みがあったということで、いい状態でボールを受けることをより強く意識していたのかもしれない。いずれにしても、ジーコのすごさに触れることができました。対照的に、ずっと動いていたのがリトバルスキーでした」

── 運動量が多いイメージはなかったですが。

「オン・ザ・ボールで輝くドリブラー、というイメージでしょう?」

── まさにそのとおりです。

「違うんですよ。ものすごく体力があって、今で言うインテンシティが高い。僕は運動量が多かったほうだけど、マークするのが大変でしたから。いい選手ほど動くんだなあと。身体も固いし」

── 身体が固いというのもまた、イメージになかったですね。

「ドイツ人はフィジカル的に強靭ですが、リトバルスキーは身体のサイズが大きくなかったから、彼もまた一層強靭なフィジカルを求めたのかもしれないですね。一度バーンと当たっても弾かれちゃうので、バンバーンと2回いくようにしていました。そんな日本人選手はいなかった。強かったですね」

── 1994年途中に名古屋グランパスに加入したストイコビッチとも、何度もマッチアップしました。

「彼は90分間ノーミスでプレーするんですよ。それも1試合だけじゃなく、何試合も。外国人選手はプレーの成功率が高い。それが彼らのクオリティだと理解していましたけど、成功率が100パーセントですから。

 僕はどちらかと言うと南米志向だけど、ヨーロッパの、旧ユーゴスラビアの選手はすごいなと感心させられました。それから、メンタルが強い。何があっても絶対に負けない、という気持ちで向かってくる」

── それは彼のバックボーンが影響しているのかもしれません。

「そうでしょうね。旧ユーゴスラビアという国そのものが、彼の生き方そのものが、戦いと言っていいものだったのでは。その世界観とか人生観が、サッカーに影響していたんだろうと」

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