北澤豪が語る30年前のJリーグ誕生秘話「骨折していたけど、スパイクの裏に特注で鉄板を入れて開幕戦のピッチに立った」 (2ページ目)
ヴェルディ川崎時代の北澤豪氏この記事に関連する写真を見る── 記録を辿ると、4日後の第2節からスタメンに名を連ねて、Jリーグ初ゴールも決めました。しかもフル出場している。左足の状態は?
「鉄板の入ったスパイクを履いたままです(笑)。10節ぐらいまでそのスパイクでやっていました」
── 当時は鉄のスパイクの話はしていませんね(笑)。
「ひょっとしたらルールに触れるかもしれないな、というのが心配で。だから、2節で得点できた時は『これで疑われないかな』と思って、うれしいというよりもホッとしたかな」
── リーグ戦では元ブラジル代表MFジーコ、元西ドイツ代表MFリトバルスキーといったW杯プレーヤーと、同じピッチでプレーしていきます。ポジション的にマッチアップすることも多かったですね。
「彼らがW杯でプレーしているのをテレビで見ていたので、自分にとっては紛れもないアイドルなんですよ。彼らを見て育ってきたから、ボールを奪っていいのかな、思いきり身体をぶつけていいのかな、と思ったりもしました。
もちろん、激しくいかなきゃいけないわけですけどね。ポジション的に対峙することが多かったので、すごくありがたかったなぁ。彼らのすごさを肌で感じて、それを自分のモノにできたので」
── たとえば、どんなことですか?
「ジーコをマークする時に、自分の横に彼を置いて視野に入れると、すっと一歩下がるんですね。視野からいなくなった瞬間にはもう、数メートル離れている。簡単に言えばマークの外し方がうまいのでしょうが、当時はそんな動き方を教わっていないんですよ。
ジーコは当時もう40歳で、試合中に足を引きずったりもしていたから、マッチアップしても絶対に勝てると思うわけです。それなのに、気がついたら10メートルぐらい離れているなんてことがある。いい選手は相手に厳しくマークされるけれど、そのなかでもいいプレーができるのはボールを受ける前の動きで決まっているんだな、と」
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