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襲いかかるラモス! 永井秀樹監督が映像で選手に闘争心を注入→ヴェルディの連勝が始まった (3ページ目)

  • 会津泰成●取材・文 text by Aizu Yasunari
  • photo by Getty Images

 Jリーグ誕生前、読売クラブは日本で唯一のプロクラブだった。それは「サッカー選手として稼げる」という当時としては恵まれた環境だった反面、「サッカーで通用しなければ職を失う」ことを意味していた。

ラモス氏は闘争心溢れるプレーで、スター軍団と呼ばれたヴェルディを牽引したラモス氏は闘争心溢れるプレーで、スター軍団と呼ばれたヴェルディを牽引した Jリーグが誕生し、世間一般的にもサッカーというスポーツが日本中で脚光を浴びるようになってからは、ラモスを筆頭に、三浦知良、武田修宏、北澤豪など当時の日本代表の中心選手をずらりと揃え、華麗なテクニックで相手を圧倒する様(さま)にサポーターは魅了された。しかし、ヴェルディが強かった最大の理由は、やはり読売クラブ時代から受け継いだプロ意識やプライド、そして勝利に対する執着心であったことを、永井は思い返した。自分自身も今一度学び直し、今の若い選手たちにも伝える必要があると考えたのだった。

 明かりを落としたミーティングルームに流れる映像。現役時代のラモス氏は、ピッチを軽やかに駆け、意のままにボールをコントロールした。しかし、ひとたび相手がボールを持てば猛烈な勢いで襲いかかり、スライディングやタックルで奪い返した。

 ラモス氏は日本リーグ時代、イエローカードを出された際、故意に立ち上がらなかったように思えた相手を追いかけ回して1年間の出場停止処分を受けた時期もあった。日本代表の司令塔として10番を背負った際も、ハンス・オフト監督に対して躊躇なく意見をぶつけ何度も衝突した。

 一選手として立場が悪くなることや誤解も恐れず、すべては勝利のために全力を尽くす。少年時代、永井がラモス氏に憧れたのはズバ抜けたテクニックと華やかさだった。しかし、プロになって同じチームでプレーするようになってからは、勝利に対する執着心やプロ意識の高さにより大きな影響を受けた。

 永井は、当時の映像を見る選手の様子を観察した。

 すると今季、ガンバ大阪から移籍してきた山口竜弥の表情が目にとまった。

「ラモスさんが必死に走って、体を張ってプレーする映像を見ながら、山口が目に涙を浮かべていた。山口のように若い選手は、強かった頃のヴェルディなんてリアルには知らない。おそらく伝え聞いてイメージしていたのは、華麗なテクニックやボールコントロールだったのかもしれない。でもそうではなく、闘争心こそ、当時のヴェルディの最大の強さだったことを知り、心を揺さぶられたのかもしれない。そんな山口の姿を見た時、心中覚悟で、次の秋田戦で先発起用しようと決めた」

 ガンバ大阪に入団し3シーズン過ごした山口は、U-23チーム(当時J3)ではコンスタントに試合に出場していたものの、トップ(J1)でのリーグ戦出場の機会は、一度も巡ってこなかった。

 プロ4年目の今季は、出場機会を求めてヴェルディに完全移籍。おもに左サイドアタッカーとしてプレーすることになった。サブで数試合起用されたのち、第13節のヴァンフォーレ甲府戦でようやくJ2リーグ初先発のチャンスを掴んだ。

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