実績十分、知名度抜群でJ加入も...。ひっそり消えていった11人の大物助っ人たち

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by AFLO

 アンドレス・イニエスタが自身37歳の誕生日を迎えた5月11日、ヴィッセル神戸との契約2年延長を発表した。イニエスタは2018年に神戸に加入し、W杯ロシア大会後からJリーグでプレー。昨季までの3年間でJ1リーグ戦63試合13得点を記録しているが、記録以上にそのパスやトラップなどのひとつひとつのプレーで観る者を魅了している。

 今シーズンもケガから復帰後、イニエスタは期待値と年俸に見合った働きを見せているが、過去を振り返れば、鳴り物入りで加入しながらも期待を裏切った大物助っ人は少なくない。そこで今回は、Jリーグから寂しく去った「消えた大物助っ人」をクローズアップしてみる。

「赤髪モヒカン」から9年後に再び来日したユングベリ「赤髪モヒカン」から9年後に再び来日したユングベリこの記事に関連する写真を見る 浦和レッズのサポーターにとって『ウーベ』と言えば、口髭が印象的だったウーベ・バインを思い出すだろう。西ドイツ代表として1990年W杯イタリア大会の優勝に貢献したMFは、1994年から3シーズを浦和でプレーして通算68試合25得点を記録。1995年には福田正博がJリーグ初の日本人選手得点王になったが、そのゴールの多くはバインからのスルーパスによって生まれたものだった。

 このバインの加入で押し出されるようにして、浦和を寂しく去っていったのが、もうひとりの『ウーベ』ことFWウーベ・ラーンだ。

 バインより2歳若い1962年生まれのラーンが浦和に加入したのは、Jリーグ初年度の1993年後期。24歳だった1986年にはW杯メキシコ大会に西ドイツ代表として出場し、同年のドイツ年間最優秀選手賞を受賞するなど、まばゆい経歴もあって大きく期待されての来日だった。

 しかし、フタを開けてみれば期待はずれ。ジーコ(鹿島アントラーズ)やリトバルスキー(ジェフユナイテッド市原/当時)、ラモン・ディアス(横浜マリノス/当時)といったほかのJクラブの大物助っ人が活躍するのを尻目に、ラーンは初年度リーグ戦7試合で1得点。2年目は出場がないまま、夏場にバインと入れ替わるように退団した。

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