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齋藤学が明かす移籍を決意するまでの過程。胸に刺さった中村憲剛の言葉 (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by Jiji photo

 齋藤は、マリノス時代から師匠と仰ぐ富澤清太郎(東京ヴェルディ)に相談に行った。

「やめるな」と止められ、痛みの元となる炎症をなくすためには「休め」と言われた。また他の人からのアドバイスを受けて、アイスバスで全身を冷やすのを継続していくと、不思議なことに痛みが徐々に消えていった。

「うれしかったし、気持ちが一気にポジティブになりました」

 2020年シーズン、開幕戦こそ出番がなかったが、痛みがない体で戦える喜びを感じていた。その後、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期になり、リーグ戦が再開したのは7月4日だった。

「捲土重来」ここからが勝負だと思っていた。しかし、試合はもっぱら途中出場がメインで、7月11日の柏戦を終えてからはベンチにすら入れなくなった。22日の仙台戦で長谷川竜也が故障し、「出番がくる」と思ったが、鬼木達監督が起用したのは宮代大聖ら若手だった。

 若手に切り替えたのか、俺はもう必要ないのか。

 いろんな疑念や不安が渦巻く中、さらに状況は悪化していく。斎藤は、紅白戦からも外されることになったのである。

「ほんと、この頃がフロンターレにいて一番つらかった。竜也がケガをして、僕がやらないといけないと思ったけど、ノーチャンスで......。紅白戦から外されたときは、若手の選手と一緒に外でボールを蹴っていた。練習でも大事なセットプレーとかに入れない。やばい。これは終わったなと思いました」

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