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齋藤学が明かす移籍を決意するまでの過程。胸に刺さった中村憲剛の言葉 (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by Jiji photo

 調子がよくなってきた手応えを感じる中、悲劇が襲った。8月24日、清水戦で右膝を負傷したのである。「これから」という時のケガに気持ちが落ちかけたが、治療とリハビリを続けて11月2日の広島戦で復帰、続く浦和戦ではスタメン復帰を果たした。

 だが、右膝の状態は一向によくならなかった。

 痛みが引かない中、斎藤には絶対に出たい試合があった。終盤戦、川崎はマリノス、FC東京、鹿島と優勝争いをしていた。第33節の古巣との試合に勝つことができれば、優勝の可能性が残る状況だった。

「マリノス戦は最低でもベンチ入りしたかった。でも、どうにも膝が痛くて......。蹴れないし、ダッシュできないんです。チームメイトと2人組になってのロングパスは、痛くてボールが相手に届かないんですよ。フロンターレの選手は、みんな残って自主練しているけど、そういうのが一切できなくて、その日の練習をどう乗り切るかしか考えられなかった。そんな状態でしたけど、『マリノス戦だけは』って思っていました」

 しかし、齋藤の思いは届かず、ベンチ入りも優勝の芽も摘まれた。

 膝の痛みが取れず、満足にボールも蹴れない。人生で初めてサッカーに楽しさを見出すことができなくなり、精神的に追いつめられていた。

「サッカーをやめようと思いました」

 齋藤は、神妙な表情でそう語った。

 思えば川崎では、1年目から苦難続きだった。思い描いていた結果を残せず、「試合に出してくれれば、もっとできるのに」と思うばかりで自分を省みず、実力が足りないのに試合に出られないことを人のせいにしていた。1年目の終わり、中村憲剛に「ベクトルを自分に向けろ」と厳しく言われた。

「その言葉が一番突き刺さりました。自分のプレーはどうなんだって考えたら、よくないから試合に出られないわけで、それを人にせいにしていたんです。憲剛さんにそう言われてハッとしました。そのおかげで19年は、フレッシュな気持ちで臨めたんです。

 だから、最初は調子がよかったし、出番がなくて苦しくても乗り越えてきました。だけど、ケガが......。いろんな治療をしたけど、全然ダメ。もう膝が痛くて、サッカーを楽しむことができない。こんなに楽しくないならやめようと思いました」

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