齋藤学が明かす移籍を決意するまでの過程。胸に刺さった中村憲剛の言葉 (5ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by Jiji photo

 川崎は圧倒的な強さを見せ、4試合を残してリーグ戦を制した。

「優勝はもちろん試合に出た選手が頑張ったと思うけれど、正直、ベンチ外の選手の力もすごく大きかったと思う。頑張りは目に見えるものじゃないし、数字にも出ないけど、チームを支えていたし、僕は彼らがいたから頑張ることができた。だから、試合に出ることもできたし、優勝できた。本当にすばらしい経験ができたなって思います」

 マリノスで10番を背負い、キャプテンにまでなった選手がここまの苦艱(くかん)を受けるとは想像していなかっただろうが、齋藤は「いろいろと成長できた」とポジティブに話す。

 苦しい中で彼は何を手にしたのだろうか。

「3年間、苦しいし、つらいことが多かったけど、それを乗り越えられたことは、僕の人生においてすごくいい経験になりました。サッカーとしては、頭で考えられるようになったことかと思います。マリノスにいた時は、サイドに開いてボールが来たらドリブルを仕掛けていく。その中でフリーの選手を見つけてパスを出せるようになったのが、マリノス時代の最後の方。その結果、アシストが増えました。

 フロンターレの最初の2年は、もっとボールを回すみたいな感じで、空けているサイドはサイドバックが使うイメージでした。そこで、だいぶ頭を使って考えるようなったかなと。でも、昨年は4-3-3になって戦術が変わってからは、(自分も)薫(三笘)のように速く前に仕掛けていくようになりました。それにちゃんと対応できたのも、頭で考えてサッカーができるようになったからだと思います」

 齋藤は、そう言って笑った。

 久しぶりにチームのために戦うこと、勝つことの楽しさを12連勝という快進撃の中で実感することができた。そして、優勝を決めたがガンバ大阪戦で齋藤はシーズン初ゴール。それは、これまで頑張ってきたご褒美のようなゴールだったが、齋藤はこの歓喜の後、別の想いを抱くことになる。

 ここから、名古屋への移籍の流れが加速していくことになる。

(つづく)

プロフィール
齋藤学(さいとう・まなぶ)
1990年4月4日生まれ。神奈川県出身。169cm、66kg F W
2009年に横浜F.マリノスの育成組織からトップチームに昇格。愛媛FCにレンタル移籍後、マリノスに復帰したが、2018年に川崎フロンターレに移籍し、昨シーズンは優勝に貢献した。今季、完全移籍した名古屋グランパスでの活躍が期待される。

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