あのストイコビッチがベンゲル就任に興奮。「素晴らしい監督だよ!」 (3ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

海外の強豪と互角に渡り合ったプレシーズン

ASモナコ監督時代のベンゲル photo by Getty ImagesASモナコ監督時代のベンゲル photo by Getty Images 1995年シーズンから名古屋グランパスの通訳を任せられることになった村上剛は、目の前の人物に少し意外な印象を受けた。

「始動日の2、3日前だったと思いますが、顔合わせの場のようなものが設けられて、初めてベンゲルに会ったんです。そういう意味では、僕のほうが選手よりも先に会ったのかもしれませんね」

 英語が得意だった村上は、1994年10月の広島アジア大会で、ボランティアとしてレバノン代表のサポートに当たった。そのことが縁でグランパスが英語の通訳を探していることを知り、面接を受けて採用された。

「メガネをかけていて、ほっそりしていて長身。ベンゲルは、落ち着いたジェントルマンという感じでした。自分が抱くサッカー監督のイメージとはちょっと異なっていましたね」

 もっとも、シーズンが始まると、村上はベンゲルの別の顔を知ることになるのだが。

 サッカー監督らしくない、という印象を抱いたのは村上だけではなかった。1995年1月23日の始動日に、トヨタトレーニングセンターで選手の前に立ったベンゲルに対し、中西も「なんか哲学者みたいな人だな」という印象を受けたという。さらに中西が驚かされたのは、フランス人のベンゲルが英語を操っていたことだ。

「これは、すごくありがたかったですね。僕は英語が少し話せるので、ベンゲルの伝えたいことがダイレクトに理解できたんです」

 一方、当時プロ3年目の20歳で、売り出し中の左ウイングだった平野孝は期待を膨らませていた。

「背が高くて、オーラを感じたんです。その時点ですでにモナコを変えた実績のある方だと聞いていたので、何かを変えてくれるんじゃないかって」

 トヨタトレーニングセンターで10日間のトレーニングを積んだ後、グランパスは2月5日から沖縄県の今帰仁村(なきじんそん)でキャンプを張った。早朝マラソンをこなし、午前と午後に練習が組まれ、戦術トレーニング――特にここでは、ゾーンディフェンスをはじめとする守備戦術の徹底に励んだ。

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