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最後までストイックな加地亮。
契約を残しながら「引退」を決断したわけ (5ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
  • photo by Masashi Hara/Getty Images

 J2というカテゴリーも含め、加地にとってその選択は簡単なものではなかったが、「このままだと早々にプロサッカー人生が終わってしまう」という危機感のほうが勝ったのだろう。また、当時大分の指揮官だった石崎信弘監督が"育成"に定評があったことが、決め手になった。

「大分での2年間は、僕にとってかけがえのない時間になりました。『J2リーグでしっかり戦えないようでは、僕のプロ人生は終わってしまう』という危機感も自分を奮い立たせていましたが、その中で、石崎監督の半端じゃないキツさの練習メニューに鍛えられ、かつ、プラスアルファのトレーニングを取り入れながら、年間44試合という長丁場のリーグ戦をコンスタントに戦えたことで、プロサッカー選手としての基盤ができた」

 そうした基盤をしっかりと作れたことで、以降のサッカー人生は一気に好転し、加速していく。

(つづく)

加地亮(かじ・あきら)
1980年1月13日生まれ。兵庫県出身。2006年ドイツW杯に出場するなど、日本代表でも活躍したサイドバック。滝川第二高校→セレッソ大阪→大分トリニータ→FC東京→ガンバ大阪→チーヴァスUSA(アメリカ)→ファジアーノ岡山

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