最後までストイックな加地亮。
契約を残しながら「引退」を決断したわけ (4ページ目)
でも、まったく気にならなかったです。若いときならもう少し周りの目を気にしていただろうけど、今は『自分は自分』という感じで何を言われても平気。キャリアを積んで自分を貫けるようになったと言えば聞こえがいいけど、単に30歳を過ぎて図太くなっただけかも(笑)」
大分での2年間は僕にとって
かけがえのない時間。
プロサッカー選手としての基盤ができた
そんなふうにして、加地が体のケアに力を注ぐようになったのは、プロサッカー選手としては初期の時代、彼の言葉を借りれば「苦しみまくっていた」という1998年からの4年間の経験によるものだ。
1998年、セレッソ大阪でプロキャリアをスタートさせたが、滝川第二高校時代から、体も華奢で、フィジカルで勝負する選手ではなかった加地。そのため、加入直後から「僕のフィジカルでは、プロの世界で通用しない」という考えが頭をもたげ、苦しむようになる。
実際、試合に出場してもフィジカルの差を痛感することが多く、自信のあった"スピード"さえも鳴りを潜(ひそ)めていった。
「高校時代はスピードで勝負できたけど、プロの世界は基本的にみんな走るのが速いし、身体能力も高い。筋トレをするくらいでは、周りに追いつけないし、自分らしいプレーもできない」
その状況を打開しようと考えたのは2000年、J2の大分トリニータへの期限付き移籍を決断したときだ。
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