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【育将・今西和男】上野展裕「今西―オフト体制に憧れていた」 (5ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko   photo by AFLO

「お前はてっきり関東か東海のチームに行くもんだと思っていた。ホンダかヤマハに決めているんだろうということで手を引いていたんだ。広島は遠いから来てくれないと思っていたんだ」

 広島は遠いどころか、上野にとっては親戚も多く切望していた場所でもある。

「そういう希望なら話してやる」
 
 上野展裕がマツダに来たがっている。話は総 監督の今西のところに上げられた。
(つづく)

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【profile】
今西和男(いまにし・かずお)
1941年1月12日、広島県生まれ。舟入高―東京教育大(現筑波大)-東洋工業でプレー。Jリーグ創設時、地元・広島にチームを立ち上げるために尽力。サンフレッチェ広島発足時に、取締役強化部長兼・総監督に就任した。その経験を生かして、大分トリニティ、愛媛FC、FC岐阜などではアドバイザーとして、クラブの立ち上げ、Jリーグ昇格に貢献した。1994年、JFAに新設された強化委員会の副委員長に就任し、W杯初出場という結果を出した。2005年から現在まで、吉備国際大学教授、 同校サッカー部総監督を務める

上野展裕(うえの・のぶひろ)
1965年8月26日、滋賀県生まれ。膳所高、早稲田大を経て、1988年にJSL1部全日空サ ッカークラブに入団。1991年、マツダSC(現サンフレッチェ広島)に移籍。1994年、現役 を引退。その後は、サンフレッチェ広島でトップチーム、ユース、ジュニアユースの指導 者を歴任。教え子には槙野智章(浦和)や森重真人(FC東京)らがいる。2005年からは京 都で育成部門統括責任者、ヘッドコーチの職に就き、チームを支えた。2009年からツエー ゲン金沢、2012年からアルビレックス新潟ユース監督。2012年、一時的にトップチームの ヘッドコーチとして監督代行も務めた。2014年レノファ山口の監督に就任に、現在に至る

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