【育将・今西和男】上野展裕「今西―オフト体制に憧れていた」 (4ページ目)
「やっぱり僕がサッカー人生で一番影響を受けたのは今西さんですからね。広島を出て10年ぶりに中国地方に帰ってきたので、本当に恐れ多いと思ったんで すけれども、『第2の今西、オフトを目指して河村と2人でやっていきたい』 というのを中国新聞に載せてくれとお願いしたんです」
ところが、これがスムーズにいかなかったという。
「JFLの記事はまだ載せられないと言われたんですよ。J3だったら載せること は可能かもしれないですけど、スポーツ面にそれは載せられないという規定があるみたいですね。サッカーを担当しておられた方に相談しても、やっぱり駄目だと言われたんです。でも、何かないかと考えていたら、結局社会欄だった ら載せられるということで掲載に至ったんです」
上野が監督就任挨拶の第一声で発信したいと思った言葉が、今西へのオマー ジュであったというのが、何とも興味深い。しかも自らが奔走してまでも記事 にしたいと拘(こだわ)ったところにその尊敬の深さが垣間見られる。記事を読んだ今西の知人がコピーして広島在住の本人に届けられたという。上野にとってのメデ ィアを介した今西への就任報告とも言えた。
早稲田大学でプレーしていた頃から、上野はオフトのモダンなサッカーに魅 せられていた。
卒業後はマツダでサッカーをやりたいという意志を持っていたが、なぜか誘 いはなかった。全日空への入社を決めたが、やはり心残りがあり、社会人3年目に早稲田のOBでマツダのサッカー部に所属している先輩に思いきって聞いて みた。すると意外な答えが返ってきた。
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