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【育将・今西和男】上野展裕「今西―オフト体制に憧れていた」 (3ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko   photo by AFLO

「指導者になった今、『中途半端は嫌』と思い、選手ができるようになるまで 練習を繰り返す。その原点も教育者のような(マツダ時代の恩師)今西さんの 影響かもしれない」

 上野はアルビレックス新潟でユースチームの監督をしていた2013年の夏に、マツダでチームメイトだった河村孝(現レノファ社長)から監督のオファーを 受けた。新潟との契約も残っており、何より現実的にJ1のクラブからJFLへのチームへの転出は、3つカテゴリーが落ちることになる。環境面の変化は必至 で迷ったが、そこで思い浮かんだのが今西のことであったという。

 上野は今西がハンス・オフトとの二人三脚で、日本リーグの2部に落ちてい たマツダの建て直しを図り、中・長期を見渡したクラブ戦略でサンフレッチェ 広島の礎を築いた後に入社している。総監督の今西が外から支え、現場はオフ トが仕切っていたという。2人のタンデムには憧憬の念さえ抱いていた。ああいうことを山口で河村と一緒に挑戦したいと思った。中国新聞の記事は最後に 上野のこのコメントで締めている。

「ジャンボ(河村社長の愛称)とレノファで、第二の今西・オフトになりたい。 ジャンボとならなれる」そう信じて気持ちを奮い立たせ新天地での戦いに挑む。 (聞き手は川村奈菜)

 記事について話題を振ると、上野はこう語った。

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