【育将・今西和男】上野展裕「広島OBの指導者が活躍している理由」
『育将・今西和男』 連載第18回
門徒たちが語る師の教え レノファ山口監督 上野展裕(2)
昨年、Jリーグアウォーズで登壇したレノファ山口・上野展裕監督(右)
1991年、上野展裕(のぶひろ)は全日空に入社後もマツダでサッカーをやる意思を捨てきれなかった。
「あの広島の風土の中でやりかったんです。今のカープもそうですけど、完成した選手を集めるのではなくて、育てて勝つというところが地方で根づいているじゃないですか。自分もそこで成長したかったんです」
上野は全日空の加茂周監督(当時)に移籍をしたいということを直訴した。まだチーム内においては不動の先発メンバーという立場ではなかったが、加茂はこんな例え話を言った。
「お前な、戦闘機が出撃して10機飛び立って行ったとするやろ。何機帰ってくると思う」
「さあ、半分くらいですかね」
「そうやろ。何機か帰ってけえへんのや。でも、次の出撃ではまた10機出さなあかんのや。分かるか?」
「......分かります」
年間を通じて戦うJSLのチームには選手層の厚さが重要であるという意味である。レギュラーではないが、必要な選手であるから残って欲しいという加茂の説得はあったが、それでも「すみません。出させてください」と節を曲げなかった。上野の志望は今西の耳に入り、面談をしようということになった。西が丘で行なわれる大学選手権の試合が終わったあとに本蓮沼の喫茶店で待ち合わせた。
「この人が総監督の今西さんか」
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