【育将・今西和男】上野展裕「広島OBの指導者が活躍している理由」 (3ページ目)
上野はその後、順調に指導者としての経験を重ねていく。2002年にはジュニアユースの監督としてサンフレッチェ広島育成の礎を作る。この世代では全国的に名前が知られた槙野智章(浦和)、森重真人(FC東京)がいたが、特筆すべきはFWをやっていた森重のポジションを中学三年時に一列後ろに下げたことである。
当時から槙野は饒舌で森重は寡黙だった。森重を中盤に下げると、本人は何も言わずに黙々と取り組んでいたが、選抜されたトレセンに見に行くとFWをやっていた。
「あいつ、やっぱり前をやりたいのかな」
卒団者を送る会のときに案の定、森重が最後に聞いてきた。
「上野さん、僕をどうしてMFにしたんですか? 僕はFWをやりたいんです」
お前、1年経ってから聞くんか、はよ聞けやと思いながら「お前は読みがいいし、守備的なMFの方が向いていると思う。組み立てるのも上手だし、その方が将来的には絶対よくなる。前をやるにはちょっとスピードが足らないと思う」
この判断の正しさは、日本代表に上り詰めた森重のその後のキャリアで証明された。
上野のインタビューで印象的であったのが、かつての教え子について語る際の慈愛に満ちた表情であった。
「2014年のブラジルW杯の初戦(対コートジボワール)を都合が悪くて、テレビ観戦できなかったんですよ。後で(日本代表が)失点したって聞いてそのときに『ひょっとして森重は中央からやられたんじゃないかな』ってチラって頭に浮かんだんです。録画をチェックしたらその通りで、こんなことを言うと何を偉そうにと叱られちゃうかもしれませんが『ああ、最後にちょっと離してしまう。あのときの課題が克服されていなかったなあ』と思いました」
3 / 5