【ワールドカップ】中村敬斗のプロ2年目は「悲壮感」が漂っていた 「サッカーが楽しかった気持ちを思い出してほしかった」 (3ページ目)
【守備をやれと言っても難しい】
── 最初の印象はいかがでしたか。
「U-23はいわばBチームのような存在で、シーズンの始動時に敬斗はトップチームにいたんですが、沖縄キャンプから戻ってきた2月の頭に宮本(恒靖)監督(現・日本サッカー協会会長)から『敬斗はまだ守備のところが厳しいので見てもらえますか?』と託されました。
彼はまだ高校生だったプロ1年目から、クルピ監督の下でけっこう試合に出て、自由奔放にやっていたと思うんですよ。だけど、宮本監督になって組織的に戦うなかで、守備の課題が浮き彫りになったんです。
そういう状況でU-23に行かされたわけなので、状況は思わしくないじゃないですか。おそらく彼も、ある年齢になった時にはヨーロッパに行きたいと(人生設計を)逆算して思い描いていたはず。その意味ではつまずいているわけなので、表情はあまり明るくなかったですね」
── 自信を失っていたと?
「そんな感じではありました。とはいえ、守備をなんとかしろと言われても、今までそんな感覚でやってきていなかったと思うんです。だから、思い悩んでいた部分もあったと思うし、悲壮感もあったと思います」
── 彼をどうやって成長させていくかが、森下さんのミッションになったわけですね。
「そうですね。ただ、僕は埼玉スタジアムで、敬斗の強烈なドリブルを見たことがあったんです。すごい才能を持った選手に対して、守備をやれと言っても、なかなか難しい。
だから、最初に聞いたんです。お前は何が一番やりたいのかって。そしたら敬斗は『ドリブルとシュートです』って答えたので、じゃあ、それをやればいいじゃんって言いました。もう、パスしなくていいよって。
ゴールを決めて文句を言う監督もいないですし、そうやって自分にプレッシャーをかけていけばいいんじゃないかと。実際にそういう練習を増やしましたし、そもそもU-23は人数も少なかったので、戦術的な練習はできなかったですし、ひたすら個人の技術を磨くことに時間を費やしましたね」
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