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【サッカー日本代表】U-20ワールドカップで日本が奮闘 チリのエスタディオ・ナシオナルの深い歴史を紹介「最大の魅力は...」 (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【チリ最大のスタジアム】

 ところで、A組を1位で通過したので、僕はてっきり決勝戦まで首都サンティアゴのエスタディオ・ナシオナル(エジプト戦、チリ戦の会場)で試合ができるのかと思っていたが、どうやらそうではないようだ。A組2位のチームがずっと首都で戦える日程になっていた。どうやら、チリは開幕前から「首位通過は無理」と考えていたようだ......。

 正式名称は「エスタディオ・ナシオナル・フリオ・マルティネス・プラダノス」。4万6190人収容の同国最大のスタジアムだ。

「フリオ・マルティネス・プラダノス」というのは2008年に84歳で亡くなったサッカー専門記者の名前である。「ディエゴ・アルマンド・マラドーナ」とか「サンティアゴ・ベルナベウ」といったように過去の名選手や会長の名前がつくスタジアムはたくさんあるが、ジャーナリストの名前を冠しているというのは珍しい。

 僕がこのスタジアムを初めて訪れたのは1978年のアルゼンチンW杯を観戦に行く途中にチリに立ち寄った時だった。

 当時、日本から南米に行くのは大変だった。

 南米までの格安航空券も手に入らなかったので大韓航空の安いチケットで太平洋を渡り、ロサンゼルスで南米までの航空券を買った。まずペルーの首都リマまで行って、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロからロサンゼルスに戻る、いわゆるオープンジョー・チケットだ。

 その間、ペルーからボリビア、チリを経てアルゼンチンに入り、W杯終了後はパラグアイ経由でブラジルに行く計画だった。「南米に行く機会など二度とないだろう」と思ったから、なるべく多くの国を見ておきたかったのだ(実際にはその後、南米大陸には10回ほど行くことになったのだが)。

 さて、ボリビア観光を楽しんでから同国の最大都市ラパスからチリのサンティアゴを目指したのだが、濃霧のため飛行機はチリ最北端のアントファガスタという銅鉱山の町に着陸。そこで一夜を明かしてからようやくサンティアゴに到着した。

 サンティアゴは5月下旬の秋真っ盛り。ペルーやボリビアに比べて白人人口が圧倒的に多いので欧州的な落ち着いた街並みで、街路樹が黄色く色づいて本当にきれいな都市だった。

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