【Jリーグ】58歳で逝去したFWエドゥーとの思い出 エスパルス在籍1年、もっと日本で見たかった
Jリーグ懐かしの助っ人外国人選手たち
【第14回】エドゥー
(清水エスパルス)
Jリーグ30数年の歩みは、「助っ人外国人」の歴史でもある。ある者はプロフェッショナリズムの伝道者として、ある者はタイトル獲得のキーマンとして、またある者は観衆を魅了するアーティストとして、Jリーグの競技力向上とサッカー文化の浸透に寄与した。Jリーグの歴史に刻印された外国人選手を、1993年の開幕当時から取材を続けている戸塚啓氏が紹介する。
第14回はエドゥー・サントスを取り上げる。Jリーグ開幕初年度の1993年に清水エスパルスでプレーした彼は、10月3日に亡くなった。58歳の若さだった。ブラジルの偉大なる才能に哀悼の意を示し、彼の足跡を辿りたい。
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エドゥー/1967年2月2日生まれ、ブラジル・サンパウロ州出身 photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る 1999年秋に、ブラジルを訪ねた。12月にトヨタカップで来日する南米王者、パルメイラスの取材が目的だった。
パルメイラスでは「フェリポン」ことルイス・フェリペ・スコラーリ監督、セザール・サンパイオ、ジーニョらにインタビューをすることになっていた。フェリポンはジュビロ磐田の元監督で、サンパイオとジーニョは横浜フリューゲルスで活躍した。彼らとの再会はとても楽しかったのだが、ちょっと意外な記憶が残っている。
「エドゥー・マンガを知っているか?」
取材初日にクラブハウスへ行くと、セキュリティの男性に声をかけられた。
エドゥー・マンガ?
Jリーグ開幕当時から取材をしている僕のデータに、その名前のブラジル人はいない。すぐに答えられずにいると、「エメルソン・レオンが監督をやっていて、ミランジーニャがいたチームの選手だよ」と、追加の情報を伝えられた。
レオンが監督を務めたのは清水エスパルスとヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)で(のちにヴィッセル神戸も指揮する)、ミランジーニャは清水とベルマーレ平塚でプレーした。となると、1993年に清水に在籍した「エドゥー・サントス」しかいない。そう伝えると、セキュリティの男性はうれしそうに笑みをこぼした。まるで息子を褒められているかのようだった。
「彼はパルメイラスのアカデミーからプロになった選手で、サンパウロやコリンチャンス相手にゴールを決めた。ライバルを倒してくれたんだ。『プラカール』の表紙になったこともある」
著者プロフィール
戸塚 啓 (とつか・けい)
スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専
門誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より 7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグ ワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本 サッカー』(小学館)
























