サッカー日本代表の中国戦で思い出す20年前のアジアカップ「反日ブーイング」には別の意味も? (2ページ目)
【2004年アジアカップでの反日ブーイング】
「反日ブーイング」の記憶とは、2004年に中国で開催されたアジアカップでの一連の出来事のことだ。
この大会、日本は苦戦を強いられた。
準々決勝のヨルダン戦でのPK戦では、1人目の中村俊輔と2人目の三都主アレサンドロが荒れたピッチに足を取られて失敗。すると、キャプテンの宮本恒靖(現、日本サッカー協会会長)が主審に歩み寄って、ピッチ状態のいい逆サイドへの変更を申し入れたのだ。この変更によって流れが変わり、最後はGK川口能活がスーパーセーブを連発して日本は準決勝進出を決めた。
準決勝のバーレーン戦では40分に遠藤保仁が退場。ひとり少ない日本は後半、一度は2対1とリードを奪ったものの、逆転されてしまった。だが、90分に中澤佑二が起死回生の同点ゴールを決め、延長前半には玉田圭司のゴールで再逆転して勝利を手繰り寄せた。
こうして驚異的な粘りを見せて決勝に進出した日本は、最後に開催国の中国を破って大会連覇を達成した。
しかし、この大会では試合前の君が代演奏時に中国人観客から激しいブーイングを浴びせられ続けた。日本人サポーターに向かって物が投げつけられたこともあったし、決勝戦のあとには日本大使館の車両が取り囲まれ、車体が損傷を受けてしまった。
決勝戦のあと、会場の工人体育場周辺は暴動に近い状態となり、日本人サポーターは競技場から出ることができなかったという(僕は工人体育場バックスタンド内にあるビジネスホテルに泊まっていたので、そんなことは何も知らず、記者会見終了後自室に戻って呑気にビールで祝杯をあげていたのだが......)。
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