サッカー日本代表の中国戦で思い出す20年前のアジアカップ「反日ブーイング」には別の意味も? (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【反日ブーイングの意味】

 ほんの数年前に僕が同国の東北部で見た光景と、アジアカップでの反日ブーイング......。いったい、中国の観客は日本に対してどんな思いを持っているのだろうか?

 まず、確認しておかなければならないのは、中国では一般的に日本に対しての反感は強いということだ。

 最近の中国の対外政策に対して、日本や米国は「力による一方的な現状変更」だとして批判する。だが、19世紀初めから20世紀前半にかけて中国に対して「力による一方的な現状変更」を行なったのは欧米の列強や日本だった。香港は英国の植民地とされ、上海など沿海部の都市には「租界」が置かれ、外国の勢力下に置かれた。

 さらに、日本は1932年に東北部に「満洲国」を作り上げ、さらに1937年には中国と全面戦争に入った。1945年まで続く日中戦争の間に、中国では多くの人々が犠牲となった。

 こうした歴史を考えれば、中国人が日本に対して警戒心や反感を持つのは当然のことだろう。

 2004年のアジアカップで激しい反日ブーイングが起こったことには、様々な要因が絡んでいる。まず、会場の問題だ。

 この大会、日本はグループリーグと準々決勝は重慶。準決勝のバーレーン戦は山東省の済南で戦った。

 1937年に日中戦争が始まった当時、中華民国国民政府は中国南部の南京を首都としていた。だが、日本軍が南京を占領すると、国民政府は内陸の重慶に移転して抗戦を続けた。

 その重慶に対して日本は激しい空爆を行なったのだ。そして、重慶では数多くの民間人が犠牲になった。

 済南では、全面戦争勃発前の1928年に国民政府軍と日本軍が軍事衝突を起こし、ここでも大きな被害が出ていた。つまり、重慶も済南も、中国のなかでも比較的反日感情の強い都市だったのだ(なぜ、中国側が日本の試合会場としてこうした都市を選んだのかは疑問だ)。

 さらに、2004年当時は小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題や尖閣諸島の領有権を巡って、日中関係が悪化していた時期でもあった。

 アジアカップでは、大会を成功させるために企業や学校、軍単位で団体が動員された。スタンドを埋めるためだ。そのため、サッカーにあまり興味がない人たちもスタンドに座っていた。それで、彼らが暇つぶしのために日の丸に対してブーイングを行なったという面もあった。

 さらに、「反日ブーイング」には中国政府に対する不満表明という意味もあった。

 1989年に起こった民主化運動は弾圧され、人々は政府に対する不満を抱えていた。だが、反政府運動は厳しい弾圧を受ける。そこで、「反日、愛国」を叫ぶデモが行なわれるのだ。それなら、政府は簡単に取り締まることができないからである。アジアカップでの「反日ブーイング」もそれと同じ構図だった。

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