町田ゼルビア快進撃に不可欠なルーキー、平河悠は大学まで無名の存在「高校卒業後は普通に就職するつもりでした」 (4ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by AFLO

 その後も(他クラブから)オファーがあるかもしれないので、ここで一旦ステイして(大学4年になる)来年までJ1(からのオファー)を待つかっていうことも考えました。ただ、3年のうちに最初のオファーをもらったクラブ(町田)に行って恩返しをしたいと思ったのと、ちょっと自分にプレッシャーをかけるっていう意味もあって、すぐに返事をしました」

── 大学4年だった昨季も、町田の強化指定選手としてJ2で16試合に出場。ふたつの活動をどう両立させていたのですか。

「大学のリーグ戦が4月2日開幕だったので、3月いっぱいまで町田で活動して、開幕に合わせて大学に戻りました。その後は行ったり来たりとなり、大学の試合が1週間空いたら町田へ来たり、試合の日が水曜と土曜でズレていたら3日間だけ来たり。コロナで(大学の)試合が延期になった時には、すぐに町田へ来たこともありましたし、2、3日刻みで行ったり来たりしていました」

── 掛け持ちは大変でしたか。

「かなり大変でした。大学に集中している時に、次の日には急に町田の分析に頭を切り替えなければいけなかったりしたので。そんなに(大学と町田の距離が)近いわけでもないので、移動疲れも多少なりともありました」

── そうした苦労があっても、高いレベルでやりたかった。

「そうですね。大学では関東2部リーグ昇格という明確な目標があったので、それを達成したい気持ちもありました。一方で、自分がより高いレベルで成長するためには、町田でやりたいっていう気持ちもありました」

── そのなかで関東2部昇格を果たして卒業できたことには、達成感もあったのではないですか。

「理想は(自分の在学中に)関東1部まで持っていきたかったですけど、(大学2、3年の)2年間は入れ替え戦を勝ち抜けませんでした......。最低限(の目標達成)でしたけど、最後の年で上げられたのは、ひとつの置き土産になったのかなと思います」

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