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稲本潤一が振り返る日韓W杯のチーム内事情。中田英寿との関係性や「ピカイチ」と絶賛した選手との連係 (4ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO

 ワールドカップの最後の2試合で前半で代えられたのも、今となっては自分の力のなさだと思っています。当時は思ってなかったですけど(笑)。そこでの悔しさが、その後に自分成長するための糧になったと思うので、やっぱり感謝の想いしかないですね」

---- では最後に、2002年の稲本潤一はどんな選手でしたか?

「アーセナルで試合に出られなかった悔しさを世界にぶつけたい気持ちがすごく強かったですし、チームというよりも個人にフォーカスした大会でした。若かったこともあってほとんど勢いだけでやっていましたし、周りを見ずに何度も前に上がって行きましたが、そのなかで2点を獲ることができた。

 もちろん、僕のゴールは周りのフォローがなければ生まれなかったと思うし、とにかくチームメイトに助けられた大会でした。もっと上に行けたという想いもありますけど、振り返ればやっぱり楽しかったですし、すごく感謝の多い大会だったと思います」

---- 日韓大会から20年が経った今年、カタール大会が開催されます。今の日本代表にどういったことを期待していますか。

「グループがグループなので、世界の人たちから見たら日本は厳しいと思われているでしょう。でも、逆にチャンスだと思うんですよね。スペイン、ドイツという世界のトップクラスの相手と試合ができるのは、選手の立場からすればうらやましいことですし、そこで結果を出すことができれば、世界に強烈なインパクトを与えられますから。

 その状況をぜひ楽しんでもらいたいですし、世界のトップを相手にも戦えることを見せてほしい。そのうえでベスト16の壁を越えて、ベスト8まで行ってくれたら最高ですね」


【profile】
稲本潤一(いなもと・じゅんいち)
1979年9月18日生まれ、大阪府堺市出身。1997年、ガンバ大阪の下部組織からトップチームに昇格し、当時最年少の17歳6カ月でJリーグ初出場を果たす。2001年のアーセナル移籍を皮切りにヨーロッパで9年間プレーしたのち、2010年に川崎フロンターレに加入。その後、北海道コンサドーレ札幌→SC相模原を経て、2022年より関東サッカーリーグ1部・南葛SCに所属する。日本代表として2000年から2010年まで82試合に出場。ポジション=MF。181cm、77kg。

【日韓W杯を振り返る】吠える鈴木隆行、指差す稲本潤一、バットマン宮本恒靖、ゴールを喜ぶ中田英寿と森島寛晃…20年前の感動が蘇る!

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