岡田武史が語る98年W杯カズ落選の真相「徹底的にシミュレーションした」 (3ページ目)

  • 村上佳代●取材・文 text by Kayo Murakami

「私心」はリーダーにとって最大の敵

遠藤 よく経営者は孤独だと言われますが、監督も同じですか?

岡田 そうですね。経営者も監督も、全責任を負って答えがないことを決断しなければいけないので、その意味では孤独です。「誰かがこう言ったからこうしよう」なんて、絶対にできませんから。僕は1997年のW杯予選のとき、ボスの加茂(周)さんが更迭になっていきなり監督になりましたが、当時41歳で監督経験もなかった。「こんなプレッシャーに絶対耐えられない。逃げ出したい」と思っていました。

◆加茂更迭から歓喜の瞬間まで。山口素弘が語るW杯予選「特殊な2カ月」>>

遠藤 突然の交代でしたよね。よく覚えています。

岡田 W杯出場がかかったアジア最終予選の第3代表決定戦で、イランとの決戦にジョホールバルに行ったとき、かみさんに電話したんです。「明日もし勝てなかったら日本に帰れない。海外に住むことになる。覚悟しといてくれ」と。でもその後、試合のビデオを見ているときに、「もういいや」ってなったんですよね。

遠藤 吹っ切れたんですか?

岡田 「明日突然、名将になれるわけではない。命がけで自分の力を100%出して、それでだめならしょうがない。日本の国民に謝ろう」と思いました。でも、同時に、「これは俺のせいじゃない」とも思った。「俺を選んだ会長のせいだ」と(笑)。そしたら完全に開き直って、怖いものがなくなりました。これまで何度かこのときと同じくらい追い詰められた経験をしてきましたが、どん底を何回も経験すると、ある種の覚悟ができてくるんですよね。

遠藤 当時、98年フランスW杯で三浦知良選手と北澤豪選手を登録メンバーから外した岡田さんの決断は波紋を呼びました。あの時はどういった経緯で決断されたんですか?
 
岡田 チームが勝つために徹底的にシミュレーションしていくなかで、一番出てくる回数が少なかったのがカズと北澤でした。負けているときは、高さのあるロペスや運動量のあるゴン(中山雅史)を出す。勝っているときは、若くて追い回せる選手がいい。だから、カズと北澤という選択肢が僕の中には出てこなかった。

遠藤 勝つために何が必要かを考えて、苦渋でしたでしょうが合理的な判断をされたんですね。経営者にとっても、役員の人選は悩ましい問題と言います。普段合理的に考えられる人でも、人選になると決断に迷ってしまう人も少なくありません。そこを岡田さんはどうやって乗り越えましたか?

岡田 みんなに好かれたいけれど、実際問題、W杯には23人(フランスW杯では22人)しか連れていけません。外した選手やマスコミから文句を言われるのはわかっている。僕が落とした選手の奥さんがスタジアムでこっちを睨んでいたこともありました。でも、仕方がない。これは監督経験を通じて痛感したことなのですが、リーダーにとって私心は最大の敵なんですよ。だから、僕は選手と一切飲みに行かなかったし、仲人も絶対にしなかった。

遠藤 選手と適度な距離感を保つことで、決断に客観性を担保できるんですね。でも、なかには監督が決めた方針に反対する選手もいますよね?

岡田 「俺は日本代表の監督として全責任を負ってこう考えてこうやる。どうしてもやっていられない状態ならしょうがない。すごく残念だけどあきらめるか出ていってくれ」と伝えました。でも、自分が全責任を追う覚悟を持っていると、それが選手には伝わるんですよね。裏を返せば、個性が強い選手をマネージできていないのは、覚悟が伝わっていないからだと思うんです。

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