なでしこGK海堀あゆみ、引退の理由を語る(前編)
「信条に反することはできない」 (3ページ目)
1度は気持ちをチームに伝えたものの、チームは年明けまで再考の猶予を与えてくれた。
「このままだと続けらないと思う反面、皇后杯の戦いの中で、エネルギーが沸きあがってくるかもしれないという思いがあって、どっちに転ぶかわからない部分もあった。それに、これが最後って思ったら、そこで終わってしまうと思った」
海堀はあえて自らの進退の結論を封印し、皇后杯に臨むことを決めたのだった。
再び遡る。海堀に異変が起きたのは、2012年ロンドンオリンピック後のことだった。ある日、突然すべてのものが二重に見えた。症状はすぐに消えたり、しばらく出なかったりと気まぐれだったため、当初は大事と捉えていなかった。
ドイツW杯からロンドン五輪にかけて、海堀を取り巻く環境は大きく変わった。その影響だろうとやり過ごした。ところが状況は悪化する。症状の出る頻度が上がり、確実に増えていく発症時間。当初下された診断は、筋肉と神経の繋がり部分に異常が生じ、筋力が低下する重症筋無力症の眼筋型――難病だった。どん底に突き落とされるとはこのこと。不安で押しつぶされそうになり、初めてサッカーを奪われるかもしれない現実と向き合うことになった。
「ケガは受け入れられても、病気ってなかなか受け入れられないものなんだと思いました。でも、膝が痛かったり、足首が悪かったり、誰もがケガのひとつやふたつ抱えてるじゃないですか。これもそういったもののひとつと思うようにした。プレーすると決めた以上、物が2つに見えてもそれは言い訳ですから」
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